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海外テニス

「戻ってきた。腐らなかった」一時は引退も考えた土居美咲が、自信を持って2度目のオリンピック出場へ<SMASH>

内田暁

2021.07.24

5年前のリオ五輪は絶好調の時。今回は経験を積んで有明のコートに立つ土居美咲。(C)Getty Imagaes

5年前のリオ五輪は絶好調の時。今回は経験を積んで有明のコートに立つ土居美咲。(C)Getty Imagaes

 8年前のあの日——。彼女は遠征先のウズベキスタンで、深夜にその報を知った。
 
「2020年東京五輪開催決定!」

 スマートフォンに光るその文字を見た時、漠然と「一つの夢の理想形」という言葉が頭をよぎる。

「現役中に地元開催のオリンピックに出られるなんて、どんなに望んでも叶えられることではない。出られるチャンスがある立場にいること事態が、そもそもすごいこと」

 その時から、土居美咲にとって東京オリンピックは、自身の成長や現時点を測る、ある種の羅針盤となった。

 それから、8年。「東京オリンピックに出られるのは、自分の感覚では、奇跡」だと土居は言う。

 2016年のリオ・オリンピックは、前年末のツアー優勝やウインブルドンベスト16などの戦績を経て、キャリア最高の時に迎えた。世界ランキングも、自己最高の30位に到達。さらなる上も、視界に捉えていたはずだ。

 だがその翌年から、ランキングの下降が始まった。大きなケガや病などがあった訳ではない。モチベーションの低下を感じていた訳でもない。ただ、リスク覚悟の攻撃を武器とする土居が、いつのまにか「負けたくない、ランキングを落としたくない」と、リスク回避に心の針が振れ始めた。
 
 相手の懐に切り込むような躍動感が影を潜め、勝利に見放される時期が続く。テニスそのものの状態が悪いわけではないことが、悩みを一層深化させた。

「なんか......グッチャグチャで負ける。自分でも、何がしたかったんだろうという感じで、そもそもテニスになっていない」。2018年6月の時点で、彼女の“世界での地位”を示す数字は、328まで落ちる。

 「テニスやめます」。信頼する先輩には、そう打ち明けもした。

 ただ土居にとって幸運だったのは、彼女の可能性を心から信じ、精神面でも環境面でも、背を押し続けてくれる人々が周囲にいたことだった。相談した先輩選手も、その一人。そしてもう一人が、コーチのクリス・ザハルカだ。

「結局クリスとは、一番どん底の時も一緒に乗り越えてきた。毎日毎日、強い気持ちでいるというのは難しいところですが、そこを引き上げてくれる。道標というか、『お前はこういう選手になれるんだ!』と信じてくれているので、そこが一番大きいです」
 
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