トップ選手には世界へと駆け上がる過程で転機となった試合や出来事があるもの。このシリーズでは国内外のテニスツアーを取材して回るライターの内田暁氏が、選手自身から「ターニングポイント」を聞き出し、心に残る思いに迫る。今回はBNPパリバ・オープンで優勝を飾ったテイラー・フリッツだ。
―――◆―――◆―――
「これを言うのは、少し早すぎる気もするけれど……」
彼がそう前置きをした時、まだ若い彼のキャリアには、ターニングポイントを規定するのは早すぎる……という意味かと思った。
だが、「昨年のインディアンウェルズが、ターニングポイントだと思う」と言った時、そのような意味合いではなかったと気付く。
昨年の「この大会=BNPパリバ・オープン」が開催されたのは、10月。新型コロナ感染拡大のため、開催時期が通常より半年遅れたのだった。つまりは「昨年のこの大会」とは、わずか5か月前のこと。「早すぎる」というのは、ここがターニングポイントだと断定するには、まだ結果や期間が十分ではないという意味だった。
個人的な話でいうと、テイラー・フリッツを初めて取材したのは、彼が大阪市開催のスーパージュニアに参戦した2014年である。当時の彼は、誕生日を目前に控えた16歳。サービスとフォアで攻める端正なテニスで、この大会を制した。
すでにアメリカでは注目のジュニアだったフリッツだが、大阪で印象に残っているのはどちらかというと、大会関係者たちが、彼の母親と談笑していた姿である。
ウインブルドン等でもスタッフを務めるトーナメントディレクターも、「キャシー、久しぶりだね! 会えてうれしいよ」と懐かしそうに声をかけていた。フリッツの母親が、元世界10位のキャシー・メイであり、父親もテニスコーチというサラブレッドだと知ったのは、その時だ。
以降の彼は、サラブレッドに相応しい王道を歩んでいく。ウインブルドンでロジャー・フェデラーの練習相手を務め、芝の王者から「彼はとても才能がある」とお墨付きを頂いた。
18歳の時には、メンフィス・オープンで決勝進出。決勝戦では錦織圭に敗れるも、一気にトップ100に躍り出て、数か月後には53位にまで到達した。だが、高まる周囲の期待に比べると、その後のランキングを駆け上がる足は、やや陰りを見せた。
グランドスラムは3回戦が最高成績で、どうしても上に進めない。2019年にツアー初タイトルを手にするも、そこからはツアーの決勝戦で3連敗。昨年はとくに壁を打ち破れぬもどかしい時期を過ごしていたという。
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「これを言うのは、少し早すぎる気もするけれど……」
彼がそう前置きをした時、まだ若い彼のキャリアには、ターニングポイントを規定するのは早すぎる……という意味かと思った。
だが、「昨年のインディアンウェルズが、ターニングポイントだと思う」と言った時、そのような意味合いではなかったと気付く。
昨年の「この大会=BNPパリバ・オープン」が開催されたのは、10月。新型コロナ感染拡大のため、開催時期が通常より半年遅れたのだった。つまりは「昨年のこの大会」とは、わずか5か月前のこと。「早すぎる」というのは、ここがターニングポイントだと断定するには、まだ結果や期間が十分ではないという意味だった。
個人的な話でいうと、テイラー・フリッツを初めて取材したのは、彼が大阪市開催のスーパージュニアに参戦した2014年である。当時の彼は、誕生日を目前に控えた16歳。サービスとフォアで攻める端正なテニスで、この大会を制した。
すでにアメリカでは注目のジュニアだったフリッツだが、大阪で印象に残っているのはどちらかというと、大会関係者たちが、彼の母親と談笑していた姿である。
ウインブルドン等でもスタッフを務めるトーナメントディレクターも、「キャシー、久しぶりだね! 会えてうれしいよ」と懐かしそうに声をかけていた。フリッツの母親が、元世界10位のキャシー・メイであり、父親もテニスコーチというサラブレッドだと知ったのは、その時だ。
以降の彼は、サラブレッドに相応しい王道を歩んでいく。ウインブルドンでロジャー・フェデラーの練習相手を務め、芝の王者から「彼はとても才能がある」とお墨付きを頂いた。
18歳の時には、メンフィス・オープンで決勝進出。決勝戦では錦織圭に敗れるも、一気にトップ100に躍り出て、数か月後には53位にまで到達した。だが、高まる周囲の期待に比べると、その後のランキングを駆け上がる足は、やや陰りを見せた。
グランドスラムは3回戦が最高成績で、どうしても上に進めない。2019年にツアー初タイトルを手にするも、そこからはツアーの決勝戦で3連敗。昨年はとくに壁を打ち破れぬもどかしい時期を過ごしていたという。