海外テニス

【レジェンドの素顔12】ステファン・エドバーグの“はじらい”から自信みなぎるプレーへの変化│後編<SMASH>

立原修造

2023.03.17

エドバーグはプロ入り当時、重圧に苦しんでいた。写真:スマッシュ写真部

 大一番におけるスーパースターたちの大胆さや小心をのぞいていくシリーズ「レジェンドの素顔」。前回に引き続き、ステファン・エドバーグを取り上げよう。

◆  ◆  ◆

受けた屈辱はそう簡単に癒されるものではなかった

 エドバーグが初めて重圧を強く感じたのは、1983年12月、全豪ジュニアのグランドスラムを達成した夜である。全仏、ウインブルドン、全米に続く、ジュニアとして1年間に4つ目のタイトルであった。

 喜びの絶頂にいたエドバーグだが、夜になって興奮が冷めてくると、将来に対する不安が先走るようになった。

 ジュニアのグランドスラムを達成したのは、エドバーグが史上2人目だったが、1人目のバッチ・バックホルツの存在も気がかりだった。1958年に最初のジュニアのグランドスラマーになったバックホルツは、その後テニス史にほとんど顔を出してこない。ジュニアはあくまでジュニアでしかないことを、バックホルツが端的に物語っている。

――自分も二の舞になるのではないか。

 そうした不安が自分をぎこちなくさせているのを、エドバーグは強く感じるようになった。ジュニア・ナンバーワンの勲章がない方が、もっと気軽にプロの世界に飛びこめたのに、と思ったりもした。
 
 迎えて1984年全米オープン。2回戦でマッケンローと対戦することになった。ジュニアのグランドスラマーが王者マッケンローにどのように挑むか、この一戦は大いに注目を集めた。

 しかし、結果は無残なものになった。勝てないまでも善戦はすると思われたのに、終わってみれば、エドバーグの取ったゲーム数はわずか3でしかなかった。

 1-6、0-6、2-6。わずか1時間16分でケリがついた試合で、エドバーグは信じられないことに9個ものダブルフォールトを犯していた。

「周囲が彼をチヤホヤするから、彼も俺に勝てると錯覚したんじゃないかな。結果は見てのとおりさ。でも、彼はいい才能を持っているから、今後は伸びると思うよ」

 このように、マッケンローはうちひしがれたエドバーグをかばう発言をした。ジュニア上がりの選手が惨敗するのも無理はないというわけだ。しかし、エドバーグが受けたショックは大きかった。どんなに優しい言葉をかけられようとも、受けた屈辱はそう簡単に癒されるものではなかった。
 
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