男子テニス元世界ランク10位のルーカス・プイユ(フランス/現459位)が母国フランスの大手ニュースメディア『レキップ』のインタビューに登場。右ヒジのケガからの完全復活を目指していた中で、うつ病とも闘っていたことを告白した。
ATPツアーで5つのタイトルを獲得し、2019年の全豪オープンでグランドスラム(四大大会)初のベスト4入りを果たすなど、若くから目覚ましい活躍を見せてきた29歳のプイユ。当時22歳で出場した16年の全米オープン4回戦では、男子テニス界が誇るレジェンド、ラファエル・ナダル(スペイン/現13位)に勝利したこともファンの記憶に新しい。抜群のポテンシャルで飛躍を遂げていただけに、周囲からは大きな期待を寄せられていた。
ところが、19年10月に右ヒジのケガを負ってから状況は一転する。翌20年7月には、同箇所の手術に成功してツアー公式戦にも復帰したものの、以前のような強さを取り戻すことはできず。グランドスラムやマスターズをはじめとしたツアートーナメントから、チャレンジャー大会(下部大会)での調整を余儀なくされたことをなかなか受け入れられず、「精神的にも大きな負担がかかっていた」と当時を振り返る。
そして、昨夏に参戦したイギリスのチャレンジャー大会では、テニスから離れることを決意しようとしたほど「最低の状態に陥った」という。自身を“口数の少ない男”と描写するプイユはうつ病になってからも身近な人に相談できず、つらく壮絶な日々を過ごしていたと明かした。
「自分の中に暗いものを抱いていた。アルコールにも手を出した。うつ病になり、(昨年6月の)全仏が終わった直後にイギリスのチャレンジャーに出た時には、夜に1時間しか眠れず、1人で酒を飲むようになった。何週間もトレーニングに励んでも、準備が整った瞬間に壊れるようになってしまった。僕はニース(フランスの都市)の病院に2週間入院し、病人や死が近い人、末期がんの人たちに囲まれながら、より早くうつ病を治すために高圧ベッドに寝かされていた」
「僕にとってはとても怖いことだった。一睡もできず、目が覚めると、血走ったような目をしていた。1週間眠れない日々が続いて、ラケットも全てゴミ箱に捨てた。家族に『28歳で父親にもなって、負けるたびにホテルの部屋で毎晩泣いているのは、普通だと思うかい?』と聞いたこともあった。毎朝『眠れたか?』と聞かれ、僕はカーペットや花粉、草にアレルギーがあると嘘をついていた。そのこと(うつ病であること)を誰にも話さず、家に閉じこもっていた。僕はあまりおしゃべりな方じゃないからね」
そう語ったフランステニス界の俊才が立ち直るきっかけは「ある日の夜中に携帯電話の通知が来て、娘の写真を目にしたこと」だった。「選手としての自分を、自分でリスペクトできていなかった」ことにようやく気付いたというプイユは「苦しんでいる姿を見せる訳にはいかなかった。こんなはずじゃなかった」と、自らを奮い立たせることができたと明かした。
ついに苦難を乗り越えたプイユが目指すもの。それは、来年7月に開かれる自国開催のパリ五輪出場だ。「テニスから離れたことは良い方向に働いたけど、(結局は)テニスが僕の人生だと気付いた」と語る29歳は最後に「唯一参加したことがないオリンピックでプレーしたい。毎日そのことを考えている。母国のパリ五輪に参加するのは一生に一度の経験になる。チャレンジしたい」と述べ、インタビューを締めくくった。
文●中村光佑
【PHOTO】2019年に楽天OPでプレーしたプイユの様子
ATPツアーで5つのタイトルを獲得し、2019年の全豪オープンでグランドスラム(四大大会)初のベスト4入りを果たすなど、若くから目覚ましい活躍を見せてきた29歳のプイユ。当時22歳で出場した16年の全米オープン4回戦では、男子テニス界が誇るレジェンド、ラファエル・ナダル(スペイン/現13位)に勝利したこともファンの記憶に新しい。抜群のポテンシャルで飛躍を遂げていただけに、周囲からは大きな期待を寄せられていた。
ところが、19年10月に右ヒジのケガを負ってから状況は一転する。翌20年7月には、同箇所の手術に成功してツアー公式戦にも復帰したものの、以前のような強さを取り戻すことはできず。グランドスラムやマスターズをはじめとしたツアートーナメントから、チャレンジャー大会(下部大会)での調整を余儀なくされたことをなかなか受け入れられず、「精神的にも大きな負担がかかっていた」と当時を振り返る。
そして、昨夏に参戦したイギリスのチャレンジャー大会では、テニスから離れることを決意しようとしたほど「最低の状態に陥った」という。自身を“口数の少ない男”と描写するプイユはうつ病になってからも身近な人に相談できず、つらく壮絶な日々を過ごしていたと明かした。
「自分の中に暗いものを抱いていた。アルコールにも手を出した。うつ病になり、(昨年6月の)全仏が終わった直後にイギリスのチャレンジャーに出た時には、夜に1時間しか眠れず、1人で酒を飲むようになった。何週間もトレーニングに励んでも、準備が整った瞬間に壊れるようになってしまった。僕はニース(フランスの都市)の病院に2週間入院し、病人や死が近い人、末期がんの人たちに囲まれながら、より早くうつ病を治すために高圧ベッドに寝かされていた」
「僕にとってはとても怖いことだった。一睡もできず、目が覚めると、血走ったような目をしていた。1週間眠れない日々が続いて、ラケットも全てゴミ箱に捨てた。家族に『28歳で父親にもなって、負けるたびにホテルの部屋で毎晩泣いているのは、普通だと思うかい?』と聞いたこともあった。毎朝『眠れたか?』と聞かれ、僕はカーペットや花粉、草にアレルギーがあると嘘をついていた。そのこと(うつ病であること)を誰にも話さず、家に閉じこもっていた。僕はあまりおしゃべりな方じゃないからね」
そう語ったフランステニス界の俊才が立ち直るきっかけは「ある日の夜中に携帯電話の通知が来て、娘の写真を目にしたこと」だった。「選手としての自分を、自分でリスペクトできていなかった」ことにようやく気付いたというプイユは「苦しんでいる姿を見せる訳にはいかなかった。こんなはずじゃなかった」と、自らを奮い立たせることができたと明かした。
ついに苦難を乗り越えたプイユが目指すもの。それは、来年7月に開かれる自国開催のパリ五輪出場だ。「テニスから離れたことは良い方向に働いたけど、(結局は)テニスが僕の人生だと気付いた」と語る29歳は最後に「唯一参加したことがないオリンピックでプレーしたい。毎日そのことを考えている。母国のパリ五輪に参加するのは一生に一度の経験になる。チャレンジしたい」と述べ、インタビューを締めくくった。
文●中村光佑
【PHOTO】2019年に楽天OPでプレーしたプイユの様子