海外テニス

女子テニスに攻撃の概念を持ち込んだマルチナ・ナブラチロワのサービスを見よ!【レジェンドFILE4】

スマッシュ編集部

2019.12.07

ナブラチロワの流れるようなサービスフォーム。写真:スマッシュ写真部

 マルチナ・ナブラチロワがテニス界にデビューしたのは1973年、17歳の時。そして6年間の休止期間を挟み、最後に引退したのは2006年、50歳になる年。最終年に出場した全米オープンのミックスダブルスで優勝しているのだから、まさに不世出の化け物プレーヤーだったと言える。

 ナブラチロワがこれだけ長く現役を続けられたのは、人一倍の身体的ケアがあったからだ。彼女はテニス界に「チーム」を持ち込んだ。コーチやトレーナー、食事のアドバイザーなどと一緒にツアーを回るようになったのは彼女が最初。今ではそうやって世界を転戦するのが普通になっているが、それもナブラチロワの成功があってのことだ。

 そのテニスはというと、クリス・エバートのストロークプレーとは対照的に、ナブラチロワはサーブ&ボレーで一時代を築いた。男子テニス界で攻撃の概念を作ったのがコナーズなら、女子テニス界でそれをしたのがナブラチロワと言っていいだろう。
 ただし、彼女は決して力に任せてボールを叩いたわけではなく(最盛期にはその傾向もあったが)、確かな技術に裏打ちされたスイングを備えていた。このサービスの分解写真でも、適度なヒザの曲げや、後ろから前への体重移動、流れるようなラケットワークなどが見て取れ、強引さは感じられない。彼女が身体的なパワーにのみ依存した選手だったら、選手生命はもっと短かったはずだ。

【プロフィール】マルチナ・ナブラチロワ/Martina Navratilova(USA)
1956年生まれ。WTAランキング最高位1位(78年7月)。グランドスラム通算18勝(AUS:81・83・85年、RG:82・84年、WIM:78・79・82~87、90年、US:83・84・86・87年)。チェコスロバキアから米国に亡命。サーブ&ボレーを得意とし、ウインブルドンでは史上最多の9勝を挙げた。ツアー通算167勝も史上最多。94年に一度引退後、2000年に現役復帰し、06年までダブルスを中心に活躍した。コート外では同性愛者として知られており、LGBTの権利擁護、差別撤廃への活動にも積極的に関わっている。

【PHOTO】ボルグ、コナーズetc…伝説の王者たちの希少な分解写真を公開!

編集協力●井山夏生 構成●スマッシュ編集部