ボルグが築いたトップスピン全盛時代。ビランデルのようにボルグのプレーを踏襲するスタイルの選手が多くなった中で、イワン・レンドルはそれにスピードという要素も付け加えたプレーヤーだ。
単純に下から上にこすり上げるのではなく、前へプッシュする動きも組み入れ、スピンとスピードの両立を果たしたのがレンドル。今主流となっている"パワーストローク"を確立した最初のプレーヤーが彼だったと言える。 このバックハンドの分解写真を見ても、6コマ目で腕を前に突き出すようにして、ラケットを斜め上に走らせているのがわかる。さらに彼が画期的だったのは、フォアハンドだけでなくバックでも逆クロスに叩けたことで、これによりエースを量産した。
ボルグの引退後、天才マッケンローと努力家レンドルの対決は男子テニス最大の呼び物となった。マッケンローの引退後は、レンドルが頂点を極めることになるが、彼がどうしても勝てなかったのが芝のウインブルドン。1986年、87年と決勝で敗れたレンドルはネットプレー(特にボレー)の改善を目指したが、タッチは後天的に身に付かず、悲願のウインブルドン優勝はならなかった。
引退後はアンディ・マリーやアレクサンダー・ズベレフらのコーチも務めている。
【プロフィール】イワン・レンドル/Ivan Lendl(USA)
1960年生まれ。ATPランキング最高位1位(83年2月)。グランドスラム通算8勝(AUS:89・90年、RG:84・86・87年、US:85~87年)。チェコスロバキア出身。重いトップスピンのグラウンドストロークを得意としたベースラインプレーヤー。84年全仏でGS初優勝し、以降は無敵の強さを発揮した。No.1通算在位記録270週はフェデラー、サンプラス、ジョコビッチに次ぐ歴代4位。引退後はマリーのコーチとしてGS優勝や五輪2連覇などに導いた。
編集協力●井山夏生 構成●スマッシュ編集部
【PHOTO】ボルグ、コナーズetc…伝説の王者たちの希少な分解写真を公開!
単純に下から上にこすり上げるのではなく、前へプッシュする動きも組み入れ、スピンとスピードの両立を果たしたのがレンドル。今主流となっている"パワーストローク"を確立した最初のプレーヤーが彼だったと言える。 このバックハンドの分解写真を見ても、6コマ目で腕を前に突き出すようにして、ラケットを斜め上に走らせているのがわかる。さらに彼が画期的だったのは、フォアハンドだけでなくバックでも逆クロスに叩けたことで、これによりエースを量産した。
ボルグの引退後、天才マッケンローと努力家レンドルの対決は男子テニス最大の呼び物となった。マッケンローの引退後は、レンドルが頂点を極めることになるが、彼がどうしても勝てなかったのが芝のウインブルドン。1986年、87年と決勝で敗れたレンドルはネットプレー(特にボレー)の改善を目指したが、タッチは後天的に身に付かず、悲願のウインブルドン優勝はならなかった。
引退後はアンディ・マリーやアレクサンダー・ズベレフらのコーチも務めている。
【プロフィール】イワン・レンドル/Ivan Lendl(USA)
1960年生まれ。ATPランキング最高位1位(83年2月)。グランドスラム通算8勝(AUS:89・90年、RG:84・86・87年、US:85~87年)。チェコスロバキア出身。重いトップスピンのグラウンドストロークを得意としたベースラインプレーヤー。84年全仏でGS初優勝し、以降は無敵の強さを発揮した。No.1通算在位記録270週はフェデラー、サンプラス、ジョコビッチに次ぐ歴代4位。引退後はマリーのコーチとしてGS優勝や五輪2連覇などに導いた。
編集協力●井山夏生 構成●スマッシュ編集部
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