大坂なおみにとって“クレーコート”との相性は、その時々で変化する、なかなかに複雑な関係性だ。
アメリカ・フロリダ州育ちの彼女にとって、“グリーンクレー”はある意味ホームグラウンド。初の欧州クレーシーズンに旅立つ18歳の時には、「クレーは得意なはず」と楽観視していた。
だが同じクレーでも赤土の上に立った時、あまりの違いに愕然としたという。最も苦労したのは、フットワーク。戦前の想像とのギャップの大きさも相まって、しばらくは「最も苦手なサーフェス」だと感じていた。
その思いに変化が生まれたのは、20歳くらいの頃だろうか。滑る足元にも慣れると、自分のパワーが生きるとの自信も生じる。特に全仏オープンの赤土は、「他のクレーと比べて少し速めなので、サーブで優位に立てる」と感じた。
サーフェスごとの相性に言及し、「ハードコートがここ」と肩口に上げた手を、「芝がここ」と腰あたりに下げると、「クレーはこのあたり」と胸付近を指したのもこの時分だ。
コロナ禍や「メンタルヘルス」、そして出産等によるコートからの離脱を経た昨年、大坂は全仏オープンの2回戦で、当時世界1位、全仏オープン3連覇を狙うイガ・シフィオンテク(ポーランド)を剣が峰まで追い詰めた。復帰後最高のパフォーマンスであり、クレーでの動きも「バレエをトレーニングに取り入れ、柔軟性が上がった成果が出ている」と自信を深める。「赤土の上で、ダンスしているような感じ」と、楽しそうに笑っていた。
それから、1年。4月末のマドリード・オープン初戦敗退を喫した大坂は、急きょ、WTAツアーの下部カテゴリーに属するWTA125、通称チャレンジャーのサン・マロ・オープン35に出場した。もっともこの決断は、本人の意向ではなかったという。昨年10月から師事するコーチのパトリック・ムラトグルの勧めに従うかたちだったが、当初は躊躇や葛藤もあったと大坂は明かした。
「わたしにとっては、難しい決断だった。やはり多少はプライドもあるし、わたし相手には、みんな良いプレーをしてくるし」
4度のグランドスラム(四大大会)優勝を誇る元世界1位が、チャレンジャーに出ることに、気恥ずかしさを覚えていたという。
「正直、プレッシャーもあった。それは『負けられない』というよりも、『ここで負けたら、世間はどんなことを言うだろう?』という疑念が心のどこかにあった」と語る。
アメリカ・フロリダ州育ちの彼女にとって、“グリーンクレー”はある意味ホームグラウンド。初の欧州クレーシーズンに旅立つ18歳の時には、「クレーは得意なはず」と楽観視していた。
だが同じクレーでも赤土の上に立った時、あまりの違いに愕然としたという。最も苦労したのは、フットワーク。戦前の想像とのギャップの大きさも相まって、しばらくは「最も苦手なサーフェス」だと感じていた。
その思いに変化が生まれたのは、20歳くらいの頃だろうか。滑る足元にも慣れると、自分のパワーが生きるとの自信も生じる。特に全仏オープンの赤土は、「他のクレーと比べて少し速めなので、サーブで優位に立てる」と感じた。
サーフェスごとの相性に言及し、「ハードコートがここ」と肩口に上げた手を、「芝がここ」と腰あたりに下げると、「クレーはこのあたり」と胸付近を指したのもこの時分だ。
コロナ禍や「メンタルヘルス」、そして出産等によるコートからの離脱を経た昨年、大坂は全仏オープンの2回戦で、当時世界1位、全仏オープン3連覇を狙うイガ・シフィオンテク(ポーランド)を剣が峰まで追い詰めた。復帰後最高のパフォーマンスであり、クレーでの動きも「バレエをトレーニングに取り入れ、柔軟性が上がった成果が出ている」と自信を深める。「赤土の上で、ダンスしているような感じ」と、楽しそうに笑っていた。
それから、1年。4月末のマドリード・オープン初戦敗退を喫した大坂は、急きょ、WTAツアーの下部カテゴリーに属するWTA125、通称チャレンジャーのサン・マロ・オープン35に出場した。もっともこの決断は、本人の意向ではなかったという。昨年10月から師事するコーチのパトリック・ムラトグルの勧めに従うかたちだったが、当初は躊躇や葛藤もあったと大坂は明かした。
「わたしにとっては、難しい決断だった。やはり多少はプライドもあるし、わたし相手には、みんな良いプレーをしてくるし」
4度のグランドスラム(四大大会)優勝を誇る元世界1位が、チャレンジャーに出ることに、気恥ずかしさを覚えていたという。
「正直、プレッシャーもあった。それは『負けられない』というよりも、『ここで負けたら、世間はどんなことを言うだろう?』という疑念が心のどこかにあった」と語る。