ヤツはサービスとボレーだけの男
1982年のウインブルドンは有力選手の欠場が相次いだ。ボルグ、レンドル、ビラスなど。とりわけボルグは、前年マッケンローに奪われた王座を再び取り戻せるかどうかが焦点の的になっていただけに、その欠場は惜しまれた。
しかし、テニス専門家の間では、ボルグとマッケンローの勝負づけは完全に済んでいる、というのが一致した見方だった。前年のウインブルドンだけでなく、全米オープンにおけるマッケンローの余裕すら感じさせる勝ち方によって、ボルグはもはやマッケンローにはかなわないだろうと見られていた。
むしろ、焦点はマッケンロー1人に絞られていると言ってよかった。今年も優勝するようなら、当分、彼の時代が続くだろう。もし、ここで敗れるようなら、まだマッケンローには頂点を制するだけの実力が不足しているのでは――。
「ここは一つ、真価を見極めてみようじゃないか」
そんな声がこの大会を支配していた。マッケンローもそんな雰囲気――まるで自分がはかりにかけられたような――を痛いほど感じ取っていただけに、一戦、一戦にかかる重圧感は並大抵のものではなかった。
特に3月にベルギーで痛めた左足首の状態が思わしくなく、決して本調子とはいえなかった。特にリターンが悪かった。「リズムが狂ってる。一つのショットがよくても、次のショットは大きくアウトする始末。これでは、こんな大きな大会では勝てっこないよ」。マッケンローには珍しく、試合後、弱音を吐く場面がしばしば見られた。
それでも勝ち続けていく。相手が名前負けしてくれるのか、芝が余程合っているのか、それとも、言葉とは裏腹にマッケンローがとてつもなく強すぎるのか――。とにかく、わずか1セットを失っただけでマッケンローは決勝に進んだ。そして、待ち構えていたのは復活したコナーズだった…。
(続く)
文●立原修造
※スマッシュ1986年8月号掲載原稿に加筆・修正
【PHOTO】マッケンローetc…伝説の王者たちの希少な分解写真/Vol.1
1982年のウインブルドンは有力選手の欠場が相次いだ。ボルグ、レンドル、ビラスなど。とりわけボルグは、前年マッケンローに奪われた王座を再び取り戻せるかどうかが焦点の的になっていただけに、その欠場は惜しまれた。
しかし、テニス専門家の間では、ボルグとマッケンローの勝負づけは完全に済んでいる、というのが一致した見方だった。前年のウインブルドンだけでなく、全米オープンにおけるマッケンローの余裕すら感じさせる勝ち方によって、ボルグはもはやマッケンローにはかなわないだろうと見られていた。
むしろ、焦点はマッケンロー1人に絞られていると言ってよかった。今年も優勝するようなら、当分、彼の時代が続くだろう。もし、ここで敗れるようなら、まだマッケンローには頂点を制するだけの実力が不足しているのでは――。
「ここは一つ、真価を見極めてみようじゃないか」
そんな声がこの大会を支配していた。マッケンローもそんな雰囲気――まるで自分がはかりにかけられたような――を痛いほど感じ取っていただけに、一戦、一戦にかかる重圧感は並大抵のものではなかった。
特に3月にベルギーで痛めた左足首の状態が思わしくなく、決して本調子とはいえなかった。特にリターンが悪かった。「リズムが狂ってる。一つのショットがよくても、次のショットは大きくアウトする始末。これでは、こんな大きな大会では勝てっこないよ」。マッケンローには珍しく、試合後、弱音を吐く場面がしばしば見られた。
それでも勝ち続けていく。相手が名前負けしてくれるのか、芝が余程合っているのか、それとも、言葉とは裏腹にマッケンローがとてつもなく強すぎるのか――。とにかく、わずか1セットを失っただけでマッケンローは決勝に進んだ。そして、待ち構えていたのは復活したコナーズだった…。
(続く)
文●立原修造
※スマッシュ1986年8月号掲載原稿に加筆・修正
【PHOTO】マッケンローetc…伝説の王者たちの希少な分解写真/Vol.1