しかし、そんな心配は無用だった。
マッケンローが放つアプローチ・ショットは、まるで吸盤に吸いつけられたように、ベースラインの手前で落ちた。
ここまで深く打たれると、レンドルとしてもどうしようもない。面くらうばかりだ。しかも、レンドルのサービスのフォームは大きすぎるので、打ったあとすぐに体勢を整えることができにくかった。ネットにつめ寄られるとプレッシャーもかかる。
そのため、レンドルのパスはことごとくネットにかかった。強引に打とうとして、自分のリズムまで狂わせていった。
「しめた!これでいける」
勢いに乗るマッケンローは、レンドルのファースト・サービスでも短いと見るや果敢にリターン・ダッシュした。
レンドルの表請から血の気がひいた。
長年抑圧されたケルト人の、スラブ人に対する大反撃だった。それまでマッケンローはレンドルの強烈なパスを恐れて、ネットに出るのをためらうことが多かった。 そうした消極策はマッケンローのプレー全体を"借りてきた猫"にさせていたのだった。
「俺にはネットプレーしかない」
この大前提にやっとマッケンローは気がついた。
「前へ!とにかく前へ!」
開拓者になったような心境だ。もちろん、そのための準編を怠らなかった。
とことん、ライジングで打つ練習をしたのだ。それも、今まで以上にライジングで打つこと。レンドルの高く弾むトップスピンのポールを返球するには、もう一歩前に出て打つ必要があった。
さらに、サービスも工夫した。レンドルにコースを読まれないように、ストレートもクロスも、同じフォームから打てるようにした。さらにクロス偏重を改め、ストレートも多用して、レンドルを"ペナルティ・キックを受けるゴール・キーパー"の心境にさせてしまおうとした。これが大成功した。
第2セットをタイブレークの末ものにしたマッケンローは、第3セットも6-4で連取。第4セットもオドオドし始めたレンドルのダブルフォールトにも助けられ、6-3で取った。80年全米オープン準々決勝以来のレンドル戦勝利だった。
その瞬間、ラケットを放り投げ、ガッツポーズで喜びを爆発させるマッケンロー。その上気した顔には、"これで大きな顔でアイリッシュ・バーに行けるぜ"と書いてあった。
文●立原修造
※スマッシュ1986年9月号から抜粋・再編集
【PHOTO】マッケンローetc…伝説の王者たちの希少な分解写真/Vol.1
マッケンローが放つアプローチ・ショットは、まるで吸盤に吸いつけられたように、ベースラインの手前で落ちた。
ここまで深く打たれると、レンドルとしてもどうしようもない。面くらうばかりだ。しかも、レンドルのサービスのフォームは大きすぎるので、打ったあとすぐに体勢を整えることができにくかった。ネットにつめ寄られるとプレッシャーもかかる。
そのため、レンドルのパスはことごとくネットにかかった。強引に打とうとして、自分のリズムまで狂わせていった。
「しめた!これでいける」
勢いに乗るマッケンローは、レンドルのファースト・サービスでも短いと見るや果敢にリターン・ダッシュした。
レンドルの表請から血の気がひいた。
長年抑圧されたケルト人の、スラブ人に対する大反撃だった。それまでマッケンローはレンドルの強烈なパスを恐れて、ネットに出るのをためらうことが多かった。 そうした消極策はマッケンローのプレー全体を"借りてきた猫"にさせていたのだった。
「俺にはネットプレーしかない」
この大前提にやっとマッケンローは気がついた。
「前へ!とにかく前へ!」
開拓者になったような心境だ。もちろん、そのための準編を怠らなかった。
とことん、ライジングで打つ練習をしたのだ。それも、今まで以上にライジングで打つこと。レンドルの高く弾むトップスピンのポールを返球するには、もう一歩前に出て打つ必要があった。
さらに、サービスも工夫した。レンドルにコースを読まれないように、ストレートもクロスも、同じフォームから打てるようにした。さらにクロス偏重を改め、ストレートも多用して、レンドルを"ペナルティ・キックを受けるゴール・キーパー"の心境にさせてしまおうとした。これが大成功した。
第2セットをタイブレークの末ものにしたマッケンローは、第3セットも6-4で連取。第4セットもオドオドし始めたレンドルのダブルフォールトにも助けられ、6-3で取った。80年全米オープン準々決勝以来のレンドル戦勝利だった。
その瞬間、ラケットを放り投げ、ガッツポーズで喜びを爆発させるマッケンロー。その上気した顔には、"これで大きな顔でアイリッシュ・バーに行けるぜ"と書いてあった。
文●立原修造
※スマッシュ1986年9月号から抜粋・再編集
【PHOTO】マッケンローetc…伝説の王者たちの希少な分解写真/Vol.1