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海外テニス

【レジェンドの素顔3】マッケンローが突然のスランプに陥る。原因は彼を取り巻く女性たち?|前編〈SMASH〉

立原修造

2021.01.27

1984年のフレンチ・オープン決勝ではマッケンローはレンドルに逆転負けした。写真:THE DIGEST写真部

1984年のフレンチ・オープン決勝ではマッケンローはレンドルに逆転負けした。写真:THE DIGEST写真部

 大一番におけるスーパースターたちの大胆さや小心をのぞいていくシリーズ「レジェンドの素顔」。1985年のフレンチ・オープン以降、マッケンローは信じがたい不振に陥り、86年は初めから長期にわたる休養を余儀なくされた。マッケンローのテニス人生においても、最大のピンチを迎えたこの不振は、当時交際していたテータム・オニールが関わっているのではないかと噂された。マッケンローを取り巻く女性たちについて考えてみよう。

  ◆  ◆  ◆

テータムとの共同生活

 パーティ・ドレスをあきれるほどスーツケースに詰め込んで、テータム・オニールはカリフォルニアからニューヨークのマッケンローのアパートに飛んできた。

 マッケンローは玄関でテータムを迎えるなり、素っ頓狂な声を張り上げた。

「どうしたっていうんだい、その格好は! まるで南極探検にでも出かけるみたいじゃないか」

 マッケンローがウンザリするのも無理はなかった。テータムには22個もの大層なスーツケースがお伴をしていたのだから。

「南極探検ですって? 私はもっと危険なところに来たつもりよ」小賢しい笑顔をチラリと見せて、テータムはそう言った。マッケンローも苦笑いを浮かべながら、あわてて引っ越しを手伝い始めた。
 
 こうして2人の共同生活は始まった。1984年のクリスマス前のことである。「あの2人を見ていると、危なっかしくてハラハラする」と人は言った。「余計なお世話だ」とマッケンローは思う。

 この時期、マッケンローの成績は完璧だった。誰に文句を言われる筋合いはなかった。84年前半のフレンチ・オープンではレンドルに大逆転負けを喫したものの、その後のウインブルドン、USオープンを連覇。その他、カナダ、ストックホルム・オープンにも優勝して、1984年は12の大会に優勝。"一人天上を行くが如き”大活躍だった。

 明けて、1985年も好調は続いた。まず、マスターズや全米プロ室内に優勝。4大会連続優勝の離れワザをやってのけた。このままいけば、グランドスラムも楽に達成できそうな勢いだった。ところが、誰もがそう思いかけた時、マッケンローは大きくつまずいた。別人のように精彩を欠き始めたのだ。
 

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