この敗戦後、ジョコビッチの常勝街道は、ぷつりと途絶えた。
五輪直後の全米オープン決勝で敗れると、以降、一度もトロフィーを抱くことなくシーズンを終える。この苦闘は翌年にも尾を引き、17年シーズンはウィンブルドンを最後に、肘の治療に専念すべくツアーを離れた。
もちろん、これら不運の連鎖のすべての原因が五輪にある訳ではない。ただ、例年以上に過密化するスケジュールと環境の変化、そして精神的な重圧などを考慮した時、五輪が与えるインパクトは未知数であり、時に周囲が思う以上に甚大だ。
加えるなら、今年のジョコビッチが追うターゲットは、金メダルだけではない。今季の四大大会のうち3大会まで終了した現時点で、ジョコビッチはその全てを制している。
つまりは、8月下旬開幕の全米オープンでも優勝すれば、テニス界最高の栄誉とされる“年間グランドスラム”達成となる。ちなみに最後にグランドスラムを成したのは、ロッド・レーバーの1969年。プロに門戸が開かれた“オープン化後”に限れば、男子ではまだ誰も居ない。
ここに五輪の金メダルが加われば、男子テニス界では初の偉業だ。ただ五輪に出ることは、全米オープン優勝の可能性を下ることになりかねない。ジョコビッチが言う「五分五分」の言葉には、それら種々の要因が絡まっていたはずだ。
それでも最終的に彼は、東京行きの飛行機を予約した。
彼が、大会参戦のため東京を訪れるのは、これが二度目である。初来日は2年前。翌年開催予定だった五輪の会場視察も兼ね、楽天オープンに出場した時だ。その際に彼は、東京五輪への想いを次のように語っていた。
「まずは、暑さや湿度などの困難な現実を、精神的に受け入れること。次に大切なのは、事前の準備。健康状態を維持し、可能なかぎり早く東京を訪れて、万全の準備をしたい。五輪の時期は、ツアースケジュール的にも大会の多い時期なので、どこかのトーナメントを犠牲にしなくてはいけないかもしれない。1年後に何が起きるかはわからない。だが五輪は間違いなく、私の最優先事項だ」
あの時、有明コロシアムに立ち新たにした誓いを果たすべく、彼は再び、東京を訪れた。待つのは、過去にも彼を襲ってきた五輪の魔力か。あるいは、13年越しの悲願成就か。
いずれにしても今回の五輪は、既に“史上最強”の呼び声も高い彼のキャリアにおける、最後のターニングポイントになるだろう。
文●内田暁
五輪直後の全米オープン決勝で敗れると、以降、一度もトロフィーを抱くことなくシーズンを終える。この苦闘は翌年にも尾を引き、17年シーズンはウィンブルドンを最後に、肘の治療に専念すべくツアーを離れた。
もちろん、これら不運の連鎖のすべての原因が五輪にある訳ではない。ただ、例年以上に過密化するスケジュールと環境の変化、そして精神的な重圧などを考慮した時、五輪が与えるインパクトは未知数であり、時に周囲が思う以上に甚大だ。
加えるなら、今年のジョコビッチが追うターゲットは、金メダルだけではない。今季の四大大会のうち3大会まで終了した現時点で、ジョコビッチはその全てを制している。
つまりは、8月下旬開幕の全米オープンでも優勝すれば、テニス界最高の栄誉とされる“年間グランドスラム”達成となる。ちなみに最後にグランドスラムを成したのは、ロッド・レーバーの1969年。プロに門戸が開かれた“オープン化後”に限れば、男子ではまだ誰も居ない。
ここに五輪の金メダルが加われば、男子テニス界では初の偉業だ。ただ五輪に出ることは、全米オープン優勝の可能性を下ることになりかねない。ジョコビッチが言う「五分五分」の言葉には、それら種々の要因が絡まっていたはずだ。
それでも最終的に彼は、東京行きの飛行機を予約した。
彼が、大会参戦のため東京を訪れるのは、これが二度目である。初来日は2年前。翌年開催予定だった五輪の会場視察も兼ね、楽天オープンに出場した時だ。その際に彼は、東京五輪への想いを次のように語っていた。
「まずは、暑さや湿度などの困難な現実を、精神的に受け入れること。次に大切なのは、事前の準備。健康状態を維持し、可能なかぎり早く東京を訪れて、万全の準備をしたい。五輪の時期は、ツアースケジュール的にも大会の多い時期なので、どこかのトーナメントを犠牲にしなくてはいけないかもしれない。1年後に何が起きるかはわからない。だが五輪は間違いなく、私の最優先事項だ」
あの時、有明コロシアムに立ち新たにした誓いを果たすべく、彼は再び、東京を訪れた。待つのは、過去にも彼を襲ってきた五輪の魔力か。あるいは、13年越しの悲願成就か。
いずれにしても今回の五輪は、既に“史上最強”の呼び声も高い彼のキャリアにおける、最後のターニングポイントになるだろう。
文●内田暁