「私のなかで、一番衝撃だったかもしれない。今まで色んな選手と試合も練習もしているし、若い頃に練習して、『あ、この子来るな』ってなんとなくわかる時、あるじゃないですか。そのダントツ1位が、バーティーでした。何でもできる。弱点がない。『なんだ、この子!?』……と」
土居を驚かせた1年後、バーティーはウインブルドンJr.を制し、才能を世界に知らしめる。競技テニスから身を引いたのは、そのわずか3年後。ツアーに戻ってきたのが、1年半後の2016年のことだった。
そして6年後……彼女は、2度目の引退表明をした。
その2度目の引退のリモート会見で、彼女に尋ねてみた。あなたのキャリアを振り返った時、最も重要な決断やターニングポイントは、どこでしたかと。
「キャリアにおけるターニングポイントは、たくさんあります。でもやはり一番は、最初の引退からの復帰を決めた時ですね。復帰をしようと、ほぼ最終決断をするまでの時間……あそこが一番重要でした。
最初の引退の時の私は、頭が空っぽのようだった。今は全く違う感覚。とても幸福だし、満たされています」
彼女が「最も重要なターニングポイント」に挙げた、20歳直前でのツアー復帰。幸運にもその当時、彼女にインタビューをする機会があった。その時に彼女が語った「引退していた間に学んだこと」を、以下に当時の原稿そのまま引用する。
「ゴルフやクリケットなど色んなスポーツをやったし、競技からは離れたけれど、子どもたちにテニスを教えてもいたんです。若い子たち……特に女の子にテニスを好きになってもらいたかったから、子どもたちと多くの時間を過ごし、その情熱を肌身で感じていました。でもその頃は、自分がテニスを真剣にすることはなかったですね。
休養以来、最初にまともにボールを打ったのがケイシー(デラキュア)に会った時。単に友人として会いに行ったつもりだったけれど、彼女と一緒にボールを打った時に、いかに自分がテニスを好きだったか、そしてケイシーをはじめとするツアーの友人たちに会いたいと望んでいたかを知ったんです」
土居を驚かせた1年後、バーティーはウインブルドンJr.を制し、才能を世界に知らしめる。競技テニスから身を引いたのは、そのわずか3年後。ツアーに戻ってきたのが、1年半後の2016年のことだった。
そして6年後……彼女は、2度目の引退表明をした。
その2度目の引退のリモート会見で、彼女に尋ねてみた。あなたのキャリアを振り返った時、最も重要な決断やターニングポイントは、どこでしたかと。
「キャリアにおけるターニングポイントは、たくさんあります。でもやはり一番は、最初の引退からの復帰を決めた時ですね。復帰をしようと、ほぼ最終決断をするまでの時間……あそこが一番重要でした。
最初の引退の時の私は、頭が空っぽのようだった。今は全く違う感覚。とても幸福だし、満たされています」
彼女が「最も重要なターニングポイント」に挙げた、20歳直前でのツアー復帰。幸運にもその当時、彼女にインタビューをする機会があった。その時に彼女が語った「引退していた間に学んだこと」を、以下に当時の原稿そのまま引用する。
「ゴルフやクリケットなど色んなスポーツをやったし、競技からは離れたけれど、子どもたちにテニスを教えてもいたんです。若い子たち……特に女の子にテニスを好きになってもらいたかったから、子どもたちと多くの時間を過ごし、その情熱を肌身で感じていました。でもその頃は、自分がテニスを真剣にすることはなかったですね。
休養以来、最初にまともにボールを打ったのがケイシー(デラキュア)に会った時。単に友人として会いに行ったつもりだったけれど、彼女と一緒にボールを打った時に、いかに自分がテニスを好きだったか、そしてケイシーをはじめとするツアーの友人たちに会いたいと望んでいたかを知ったんです」
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