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国内テニス

叔母から受け継いだテニスクラブが“ジュニア選手の宝箱”に!素人だったオーナーが辿り着いた「型にハメない指導法」<SMASH>

内田暁

2022.06.11

地元に愛されるカフェのような佇まいクラブハウスからは、ここがジュニアテニスの名門であることを忘れさせそうだ。写真=内田暁

地元に愛されるカフェのような佇まいクラブハウスからは、ここがジュニアテニスの名門であることを忘れさせそうだ。写真=内田暁

「いかにも、昭和って感じでしょ?」

 カラカラと明るい笑顔で出迎えてくれたのは、チェリーテニスクラブのオーナー夫妻の千頭範子さんだった。

 白い木造りのクラブハウスには、西洋的な瀟洒さとアジア的な雑多さが同居し、確かにレトロな空気を醸成する。常連客が人気の味噌カツ定食に舌鼓を打つ風景は、地元に愛されるカフェそのもの。ただ店内奥に鎮座するストリングマシンが、ここがテニスクラブであることを訴えていた。

「このテニスクラブは、もともとは叔母が、1986年に始めたんです。僕は経営に携わっていくうちに、だんだん、テニスって面白そうだなって思いはじめて……」

 ポツリ、ポツリ、と朴訥な関西弁で、オーナーの千頭政己氏は、クラブの歴史を紐解きはじめた。この千頭氏こそが、七色の評判を持つコーチ。大阪府吹田市出身で、やるスポーツといえばサッカーだった。

 土地の有効活用を考えていた叔母がテニスクラブを始めたのも、担当会計士さんがテニス好きだったため。この偶然が無ければ、千頭氏がラケットを手にすることも無かったかもしれない。
 
 範子さん曰く「やんちゃだった」千頭氏が、クラブの経営に携わりはじめたのが20代半ばの頃。

「こういうふうに、クラブハウスの喫茶の運営をやっていて。当時テニススクールは、どこかの会社に委託してたんですが、そこのコーチと仲良くなり、そのうちレッスンを受けたりして、コーチとしても教えるようになっていって……」

 30年以上前の記憶がそこかしこに染みつくクラブハウスを見やりながら、千頭氏が回想する。当時のチェリーテニスクラブに通っていたレッスン生は、レクリエーションや“お稽古事”の子が中心。いわゆる“選手育成コース”等は存在しなかった。
 
 そんな町の小さなテニスクラブに通っていた夫婦が、ある頃から、二人の子どもを連れてくるようになる。

「練習は自分たちでやるので、コートを貸して欲しい。あとは週に数回、トレーニングに参加させて欲しい」

 父親のその申し出を快諾した千頭氏は、親子の取り組みに目を凝らした。

 夕方に親子はコートを訪れ、限られた時間で濃密な練習を日々こなしていた。父親が球を出し、母親が球拾いをするため、姉弟は休みなくボールを打ち続けられる。

 やがて、千頭氏の目に「気が強い子」と映った姉は全国大会の常連となり、彼女を見るために、関東地方からコーチがチェリーテニスクラブまで足を運ぶようになった。それらコーチ陣には、元世界26位の兼城(旧姓井上)悦子氏も含まれる。

「兼城さんのような元トッププロが、どんな指導をするのか見る機会もあって、良い経験になりました」

 千頭氏に指導者の知見と高い目的意識を与えてくれたその少女は、後にウィンブルドンJr.でベスト4に入り、昨年まで世界を転戦した井上雅である。
 
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