その芽生えた使命感を、彼は即座に行動へと昇華する。
「去年くらいから遠征を回るなかで、自分のことを考えつつも、後輩の結果や悩みも気にかけていました。周りの手助けもしたいなという思いが芽生えてきたなかで、やるのであれば、自分の人生の中で思い切ったことを、この年齢でやりたいなというのもあったんです。
今の年齢でやる方が色んなプレッシャーや苦労にも耐えられるんじゃないかなと思い、コーチではなく、あえて監督を決断しました。ここで何年かテニス界を離れて戻ったとしたら、自分の感覚が薄れてしまうと思ったし、現役終わってすぐの方が色んなことを伝えやすいかと思ったんです。実際に今ならコートに立ってヒッティングもできる。そういうことも含めて、選手の手助けできるのではと思いました」
選手としてツアーを回り、若い世代とも交流し、その中で感じてきたという「日本のテニスに対する危機感」。それは具体的には、どのようなものだろうか?
「やはり西岡(良仁)の次に、100位に入った選手がいないこと。なので僕も監督になったら、そこは意地でも、新たな選手をトップ100に行かせなくてはいけないと思っています。僕が100位に入った時は、やはり(錦織)圭がトップを走ってくれたなかで、僕らもそこに追いつきたいという思いが間違いなくありました。そこが一番大きかったと思います」
「ただ同時に自分を客観的にも見ていたところもあって、圭はちょっと特別というか、あんなに簡単に100位に入れることは滅多にないとも思っていました。だから僕が思ったのは、自分は地道に行かなくてはということ。長期目線で、3~5年かけてトップ100に入る計画を立てていました。練習もハードだったし、コーチたちとも互いに情熱を持ってやっていた。そこから(伊藤)竜馬や杉田(祐一)も続いたので、すごく良い流れだったと思うんですね。
今はそのあたり、100位に対するハードルが、悪い意味で下がっている気がします。普通にツアーを回っていれば入れるんじゃないかという、何となく……変な慢心にも似た空気になっちゃっているかもしれないんですね。だからここでもう一度、どれだけ大変かを、コーチや僕も含め考えなくてはいけない。
海外の選手も含め、皆ものすごく努力しているので、年々100位に入るハードルは上がっている。だから今まで以上に、練習の質や量、計画性も含め、もっと緻密にやらないと難しいと思っているんです、正直なところ」
錦織圭に牽引されるように、長く日本人選手にとっての壁であったトップ100圏内に、6人もの選手が飛び込んだのは2010年台のこと。ただ、本来ならメンタルバリアを取り除くはずの成功体験が、緊張感を弛緩させたという添田の見解は深く鋭利だ。
「去年くらいから遠征を回るなかで、自分のことを考えつつも、後輩の結果や悩みも気にかけていました。周りの手助けもしたいなという思いが芽生えてきたなかで、やるのであれば、自分の人生の中で思い切ったことを、この年齢でやりたいなというのもあったんです。
今の年齢でやる方が色んなプレッシャーや苦労にも耐えられるんじゃないかなと思い、コーチではなく、あえて監督を決断しました。ここで何年かテニス界を離れて戻ったとしたら、自分の感覚が薄れてしまうと思ったし、現役終わってすぐの方が色んなことを伝えやすいかと思ったんです。実際に今ならコートに立ってヒッティングもできる。そういうことも含めて、選手の手助けできるのではと思いました」
選手としてツアーを回り、若い世代とも交流し、その中で感じてきたという「日本のテニスに対する危機感」。それは具体的には、どのようなものだろうか?
「やはり西岡(良仁)の次に、100位に入った選手がいないこと。なので僕も監督になったら、そこは意地でも、新たな選手をトップ100に行かせなくてはいけないと思っています。僕が100位に入った時は、やはり(錦織)圭がトップを走ってくれたなかで、僕らもそこに追いつきたいという思いが間違いなくありました。そこが一番大きかったと思います」
「ただ同時に自分を客観的にも見ていたところもあって、圭はちょっと特別というか、あんなに簡単に100位に入れることは滅多にないとも思っていました。だから僕が思ったのは、自分は地道に行かなくてはということ。長期目線で、3~5年かけてトップ100に入る計画を立てていました。練習もハードだったし、コーチたちとも互いに情熱を持ってやっていた。そこから(伊藤)竜馬や杉田(祐一)も続いたので、すごく良い流れだったと思うんですね。
今はそのあたり、100位に対するハードルが、悪い意味で下がっている気がします。普通にツアーを回っていれば入れるんじゃないかという、何となく……変な慢心にも似た空気になっちゃっているかもしれないんですね。だからここでもう一度、どれだけ大変かを、コーチや僕も含め考えなくてはいけない。
海外の選手も含め、皆ものすごく努力しているので、年々100位に入るハードルは上がっている。だから今まで以上に、練習の質や量、計画性も含め、もっと緻密にやらないと難しいと思っているんです、正直なところ」
錦織圭に牽引されるように、長く日本人選手にとっての壁であったトップ100圏内に、6人もの選手が飛び込んだのは2010年台のこと。ただ、本来ならメンタルバリアを取り除くはずの成功体験が、緊張感を弛緩させたという添田の見解は深く鋭利だ。