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海外テニス

テニス界のレジェンド、ベッカーを破綻へと導いた「リスクを考えない思考」<SMASH>

レネ・シュタウファー

2022.12.16

ベッカーはいつも豪勢な暮らしをしていたが、お金の扱い方には長けていなかったようだ。(C)Getty Images

ベッカーはいつも豪勢な暮らしをしていたが、お金の扱い方には長けていなかったようだ。(C)Getty Images

 彼は自分自身を際立たせることも学んだ。その成功とルックスから色男として知られ、コート外でも選択的知覚を発揮することが多くなった。ベッカーは機知に富み、愉快で、先見の明のある話者であり、見事なテニス解説者である。ゆっくり話し、一語一語を強調し、身振り手振りと意味ありげな表情で発言を補強する。ユーモアのセンスもあり、よく目を輝かせている。

 予測不可能でもあった。サソリ座生まれの彼は、しばしば自分も毒牙にかかる。「ボリスの中には悪魔がいて、それが今、彼のために全てを台無しにしている」と、長年にわたって密接に係わってきた人物は語るが、悪魔はさておき何かの負のエネルギーも同梱していたのだ。

 ベッカーが世界を軽やかに駆け抜けたのは、テニスという安全地帯を離れるまでだった。1999年に引退した後はネガティブな報道が相次いだ。バーバラ・フェルタスとの結婚により2人の息子を授かったが、2001年に離婚、和解金は1500万ユーロ(約21億円)といわれる。

 ロンドンのレストラン『ノブ』での不貞行為により、アンジェラ・エルマコワとの間に娘をもうけたことも大きな代償を払った。2010年には、オランダ出身のリリー・カーゼンバーグとの再婚により息子が誕生している。
 
 ベッカーはいつも豪勢な暮らしをしていたが、金の扱い方には長けていなかった。莫大な損害賠償請求が表面化し、2002年には330万マルク(約1億8500万円)の脱税により、条件付きで懲役2年を言い渡された。これはまさに将来への警告の一撃だったのに、彼はさりげなく無視してしまった。

 その後ベッカーは、会社をスイスに移して04年に「ベッカー・クレベン財団」を設立。スイスの本社から、インドを含むさまざまな市場や産業に投資し、メルセデス車のディーラーを3店舗持ち、ウィットに富んだ広告塔として引っ張りだこだった。

「彼は危険な状況を好むギャンブラーだった。今回はそれがちょっと行き過ぎたようだ。もし、ロンドンの裁判で悔恨の念をこめて反省の態度をとっていたら刑務所に入らずに済んだかもしれない」とかつて私にベッカーを紹介した元同僚は残念がるが、感性だけで生き抜いてきたベッカーには無理な注文だったに違いない。

文●レネ・シュタウファー 翻訳・構成●安藤正純

※『スマッシュ』2022年8月号より抜粋・再編集

【PHOTO】オープンスタンスでグリップを厚めに握ったベッカーのフラットサービス分解写真
 
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