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海外テニス

女子テニス界きっての“ハッピーガール”を育て上げた、「アキコ」と呼ばれる母親の存在と教え<SMASH>

内田暁

2024.09.02

さらなる成長を目指してフロリダへのテニス留学が決まるが両親からはある条件が出された(写真は全仏ジュニアの複で準優勝した17歳当時)。(C)Getty Images

さらなる成長を目指してフロリダへのテニス留学が決まるが両親からはある条件が出された(写真は全仏ジュニアの複で準優勝した17歳当時)。(C)Getty Images

「ガーンジー島は、家族で暮らすには最高の場所なの!」と、ワトソンは母親に良く似た人懐っこい笑みを広げた。彼女が、選手間で「ツアーきってのハッピーガール」と呼ばれる理由は、その笑顔を見れば説明不要。見る者も幸福な気持ちにさせる表情で、彼女は幼少期の思い出を紡いでいった。

「ガーンジー島は平和で、住民たちは仲が良く、島そのものが一つの大きなコミュニティみたいな感じ。自然に囲まれていて、みんなで誘い合っては自転車を漕ぎ、山に遊びに行った。わたしの幼少期は、パーフェクト! 本当にラッキーだったと思う」

 ワトソンがテニスを始めたのも、ガーンジー島での幼い日。「両親を結び付けたスポーツ」をするのは彼女にとって、あまりに自然なことだった。

 そんな「大好き」な故郷の島を、彼女は12歳の時に後にする。娘に、より良いテニスの環境を与えたいと願った両親が、米国フロリダ州のIMGアカデミーに行くことを勧めてくれたからだ。

 ただテニス留学をするにあたり、両親が出した条件があった。それは、「一般の学校に通うこと」である。
 
 母国では貴重だった高等教育を受け、新天地へと渡る機会も得たアキコさんは、娘にも教育の大切さを伝えてきたという。そして娘のワトソンも、「親の方針に、本当に感謝している」と言った。

「わたしは、学校が大好きだった。単に勉強できただけでなく、友だちがたくさんできた。社会性を身に付けられたのもありがたいし、色んな経験や感情を共有できる、素晴らしい人たちがわたしの周囲にはいた。本当に自分は恵まれている」

 友人に囲まれた充実の学生生活を送り、同時に「両親の尽力や応援に応えたい」の思いを熱源に、テニスに打ち込んだ十代の日々。そんな彼女のツアー初優勝が、日本で訪れたのも、何かの巡り合わせだろうか。

 それは2012年10月、大阪市開催の「HPオープン」。同年開催のロンドンオリンピックで母国の旗を背負った当時の20歳は、「あの時は、心身ともに疲れていた」と回想した。
 
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