やがて二人は婚約した。1974年のウインブルドンは二人のラブ・ストーリーの絶頂期だった。クリスはオルガ・モロゾワを破り、コナーズはケン・ローズウォールを下して、ともに初優勝を飾ったのである。“婚約カップル、世紀の優勝”と当時のテニス界は大いに沸いた。特に、エバート家の喜びはひとしおだった。試合終了後、クリスが父親のところに電話をかけると、父親はうれしさのあまり、受話器の向こうで泣き続けていた。
ティーチング・プロの娘がついに世界一の大会で優勝した――。父親の感激もわかろうというもの。クリスは最高の親孝行をしたのである。
ウインブルドン大会の最終日。その夜には大舞路会が行なわれることになっている。最初にシングルスの男女優勝者同士が一緒に踊るのが恒例だ。万雷の拍手の中、メイン・ステージに登場したのは、もちろんクリスとコナーズ。バンドが「僕と結婚する娘」の曲を演奏する間、二人は世界一幸せ者の顔をして、ダンスを楽しんだ。
「来年もぜひここで一緒に踊ろうぜ」とコナーズ。
「今日みたいに6インチのハイヒールをはかなくていいのなら、私もその意見には大賛成よ」とニッコリ徴笑むクリス。まるで、おとぎ話のクライマックスのようなほほ笑ましいシーンだった。
しかし、その後、二人が大舞踏会で一緒にダンスする機会は二度と来なかった。そればかりか、婚約も結局は夢の中の出来事に終わってしまった。
結婚の延期を先に申し出たのはクリスの方だった。しかし、その前に二人は、全米一の長距離電話使用者になるくらい話し合った。男女が別れる原因は、つきつめれば愛が薄れたということになるのだろう。
しかし、若い二人には、もっと切迫した事情があった。テニスのことだ。
ローティーンの頃、早めに結婚してテニスをやめることを願ったクリスも、いざ自分がウインブルドンに初優勝してみると、気持ちが180度変わっていた。野心も芽生えてきた。ナンバーワンを長く続けたいと熱望するようになった。それはコナーズにしても同じことだった。
お互いのテニス人生を考えると、この結婚は決してプラスにはならない。
二人はそう結論を出した。一つの才能に恵まれた者は、どんな犠牲を払ってでもそれをとことん追求してみたくなる。前代未聞のナンバーワン同士の結婚。所詮、それは無理なことだったのである。
~~続く~~
文●立原修造
※スマッシュ1987年2月号から抜粋・再編集
【PHOTO】ボルグ、コナーズ、エドバーグetc…伝説の王者たちの希少な分解写真/Vol.1
ティーチング・プロの娘がついに世界一の大会で優勝した――。父親の感激もわかろうというもの。クリスは最高の親孝行をしたのである。
ウインブルドン大会の最終日。その夜には大舞路会が行なわれることになっている。最初にシングルスの男女優勝者同士が一緒に踊るのが恒例だ。万雷の拍手の中、メイン・ステージに登場したのは、もちろんクリスとコナーズ。バンドが「僕と結婚する娘」の曲を演奏する間、二人は世界一幸せ者の顔をして、ダンスを楽しんだ。
「来年もぜひここで一緒に踊ろうぜ」とコナーズ。
「今日みたいに6インチのハイヒールをはかなくていいのなら、私もその意見には大賛成よ」とニッコリ徴笑むクリス。まるで、おとぎ話のクライマックスのようなほほ笑ましいシーンだった。
しかし、その後、二人が大舞踏会で一緒にダンスする機会は二度と来なかった。そればかりか、婚約も結局は夢の中の出来事に終わってしまった。
結婚の延期を先に申し出たのはクリスの方だった。しかし、その前に二人は、全米一の長距離電話使用者になるくらい話し合った。男女が別れる原因は、つきつめれば愛が薄れたということになるのだろう。
しかし、若い二人には、もっと切迫した事情があった。テニスのことだ。
ローティーンの頃、早めに結婚してテニスをやめることを願ったクリスも、いざ自分がウインブルドンに初優勝してみると、気持ちが180度変わっていた。野心も芽生えてきた。ナンバーワンを長く続けたいと熱望するようになった。それはコナーズにしても同じことだった。
お互いのテニス人生を考えると、この結婚は決してプラスにはならない。
二人はそう結論を出した。一つの才能に恵まれた者は、どんな犠牲を払ってでもそれをとことん追求してみたくなる。前代未聞のナンバーワン同士の結婚。所詮、それは無理なことだったのである。
~~続く~~
文●立原修造
※スマッシュ1987年2月号から抜粋・再編集
【PHOTO】ボルグ、コナーズ、エドバーグetc…伝説の王者たちの希少な分解写真/Vol.1