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国内テニス

「伊達公子/扉が開いた瞬間」日本女子テニス界の名手が明かす人生のターニングポイント<SMASH>

内田暁

2022.08.06

高校を卒業すると迷うことなくプロ入りを決め、その6年後には世界4位まで上り詰めた(写真はキャリアハイを記録した1995年シーズンの全仏を戦う伊達氏)。(C)Getty Images

高校を卒業すると迷うことなくプロ入りを決め、その6年後には世界4位まで上り詰めた(写真はキャリアハイを記録した1995年シーズンの全仏を戦う伊達氏)。(C)Getty Images

 果たして進学先の選択が、彼女の人生を決定したかは分からない。

 ただ、高校1年生時にインターハイの県予選で敗れた彼女が、そのわずか1年と数か月後には、全日本選手権ベスト4に駆けあがるまでに急成長したのは確かだ。

 大きな契機となったのは、高校2年生に上がる直前。病を患った光國氏の“代役”として、名伯楽として知られる小浦猛志に監督がお願いをしたのだ。その縁で伊達は、小浦氏がコーチを勤めるクラブに通い、指導を受けるようになる。飛び込んだ新たな環境で、彼女は高次のレベルでテニスの楽しさを知った。

「同じことを繰り返すのが得意ではなかったわたしが、すべてを吸収したい一心で、フォアのクロスコートラリーを100回やれと言われたら、3時間でも4時間でもやっていました。

 小浦さんのところは刺激的で、現実的な練習ができるようにもなり、力がついてきて……という好循環が始まった感じでしたね」

 そうして回り始めた運命の歯車に、カチリとはまり加速を促したのが、かつて四ノ宮テニスクラブで磨いたネットプレーである。
 
 高校2年生時の全日本選手権で、その武器を活用し並み居るプロに次々と勝った時、彼女は「もう高校生には負けないかな」と直感した。

 その予感を確信へと変えるように、高校3年生時にはインターハイ単・複・団体の3冠を成す。さらに同年、彼女は全日本ジュニア選手権の18歳以下でも頂点へ。ちなみにこの時の決勝の相手は、後の世界14位の沢松奈生子。

 その二人の決勝戦を、16歳以下の準決勝で敗れるも「どうしても伊達さんの決勝戦が見たい」と延泊し観戦していたのが、後に世界28位に至る長塚京子である。

 30メートル四方ほどの狭い空間に、後の世界トップ30が3人も集う――そんなアツい交錯が、あの夏、あの日、神戸市のテニスコートに確かにあった。
 
 少女時代、なかなか勝てなかった「京都の4人組」の他の面々は、高校生活の終わりとともに、テニスに打ち込んだ日々にも別れを告げる。

「最初から3位、最低3位、最高2位」だった伊達公子は、高校卒業の翌年に全豪オープン4回戦へと駆け上がり、25歳で世界の4位に登りつめた。

取材・文●内田暁

★伊達公子/プロフィール
京都府出身。園田学園高時代は全日本選手権に予選から出場してベスト4進出。高校卒業後の1989年にプロ転向。ライジングを武器に日本女子テニス界の歴史を次々と塗り替えてきた元世界4位のレジェンド。1996年に惜しまれながら引退し、2008年に現役復帰。シングルスの獲得タイトル数は8個。09年には38歳でツアー優勝を飾り、2017年まで現役を続けた。現在は試合中継の解説やジュニア選手育成活動にも携わっている。

【PHOTO】世界4位にまで上り詰めた伊達公子のキャリアを写真で振り返り!

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