バブル景気による円高をきっかけとして、日本競馬には“マル外”(外国産馬)の嵐が吹き荒れた。欧米のセリ市で購買された高額な血統馬が多数輸入されたからだ。
それには一つの理由がある。この時期、一部の有力馬主以外は日本競馬特有の障壁に阻まれていた。たとえ多額の資金を持っていても、古参の馬主も新参のそれも同等に扱われる現在の『セレクトセール』のように、良血馬が多数上場するセリ市は存在しなかった。その代わりに、ほとんどの血統馬はいわゆる“庭先取引”、つまり牧場と付き合いのある古参のオーナーとの直接取引で売買されていたため、そうしたコネクションを持たない馬主が本当にほしい血統馬を手にすることは極めて困難だった。
その打開策として彼らが活路を見出したのが外国産馬を輸入するというスタイルだった。欧米の良血馬の多くはセリ市に上場され、予算が用意できれば、基本的に誰でもほしい馬を購入することが可能だった。輸入する際に1頭につき数百万円の関税がかけられるし、当時はクラシックや天皇賞など特に格の高いGⅠレースに出走できないという制約は存在した。しかし折からの円高の好影響で割安感があったし、何より買いたい馬が買えるというストレスのない環境が新しい馬主には、いくつかの制約を越えて大きなメリットと映ったからである。
そうしたブームに乗って日本へと輸入された外国産馬の1頭に、のちに日本競馬の歴史を変える良血牝馬がいた。名種牡馬シーキングザゴールド(Seeking the Gold、父Mr. Prospector)を父に持つ米国産馬、シーキングザパールである。
のちのシーキングザパールは1994年に米国のレイジーレインステーブルで生まれ、翌年にセリ市のキーンランド・ジュライセールに上場。一度は主取りになったものの、それを知って会場の厩舎へ出向いた馬主の植中昌子によって買い取られた。価格は18万5000米㌦、当時の為替レート(1㌦≒95円)で約1750万円というリーズナブルなものだったという。
その後、同年の11月に日本へ送られたシーキングザパールは北海道・早来町のノーザンファームでトレーニングを積み、植中昌子の娘である倫子の名義で競走馬登録を受けて1996年5月に栗東トレーニング・センターの佐々木晶三厩舎に預託された。
デビューは華々しかった。武豊を鞍上に迎えた7月の新馬戦(小倉・芝1200m)はスピードの違いで先頭に立つと、追ったところなく2着に7馬身差を付けて圧勝。マスコミは「また“マル外”のスーパーホースが登場」と祭り上げた。
この一戦で彼女の能力が同年代のトップクラスにあることは証明したが、一方、メンタルはまだ多分に推さない部分を残しており、それはレースに行ってみなければわからないという不安定な走りに反映された。
2戦目の新潟3歳ステークス(GⅢ、現「2歳ステークス」)はコーナーで逸走するような素振りを見せて後れをとって3着。次走のデイリー杯3歳ステークス(GⅡ、現「2歳ステークス」)は2番手からラクに抜け出すと、のちに天皇賞(春)(GⅠ)を制するメジロブライトを5馬身も千切り捨てて快勝。しかし2歳女王決定戦である阪神3歳牝馬ステークス(GⅠ、現「阪神ジュベナイルフィリーズ」)に単勝オッズ1.5倍という圧倒的な支持を受けて出走するが、鞍上も首をひねる凡走で、のちに桜花賞、オークス(ともにGⅠ)を制するメジロドーベルの4着に敗れる。
しかし3歳初戦となったシンザン記念(GⅠ)では能力を全開にし、2着に3馬身差を付けて重賞2勝目を挙げた。
それには一つの理由がある。この時期、一部の有力馬主以外は日本競馬特有の障壁に阻まれていた。たとえ多額の資金を持っていても、古参の馬主も新参のそれも同等に扱われる現在の『セレクトセール』のように、良血馬が多数上場するセリ市は存在しなかった。その代わりに、ほとんどの血統馬はいわゆる“庭先取引”、つまり牧場と付き合いのある古参のオーナーとの直接取引で売買されていたため、そうしたコネクションを持たない馬主が本当にほしい血統馬を手にすることは極めて困難だった。
その打開策として彼らが活路を見出したのが外国産馬を輸入するというスタイルだった。欧米の良血馬の多くはセリ市に上場され、予算が用意できれば、基本的に誰でもほしい馬を購入することが可能だった。輸入する際に1頭につき数百万円の関税がかけられるし、当時はクラシックや天皇賞など特に格の高いGⅠレースに出走できないという制約は存在した。しかし折からの円高の好影響で割安感があったし、何より買いたい馬が買えるというストレスのない環境が新しい馬主には、いくつかの制約を越えて大きなメリットと映ったからである。
そうしたブームに乗って日本へと輸入された外国産馬の1頭に、のちに日本競馬の歴史を変える良血牝馬がいた。名種牡馬シーキングザゴールド(Seeking the Gold、父Mr. Prospector)を父に持つ米国産馬、シーキングザパールである。
のちのシーキングザパールは1994年に米国のレイジーレインステーブルで生まれ、翌年にセリ市のキーンランド・ジュライセールに上場。一度は主取りになったものの、それを知って会場の厩舎へ出向いた馬主の植中昌子によって買い取られた。価格は18万5000米㌦、当時の為替レート(1㌦≒95円)で約1750万円というリーズナブルなものだったという。
その後、同年の11月に日本へ送られたシーキングザパールは北海道・早来町のノーザンファームでトレーニングを積み、植中昌子の娘である倫子の名義で競走馬登録を受けて1996年5月に栗東トレーニング・センターの佐々木晶三厩舎に預託された。
デビューは華々しかった。武豊を鞍上に迎えた7月の新馬戦(小倉・芝1200m)はスピードの違いで先頭に立つと、追ったところなく2着に7馬身差を付けて圧勝。マスコミは「また“マル外”のスーパーホースが登場」と祭り上げた。
この一戦で彼女の能力が同年代のトップクラスにあることは証明したが、一方、メンタルはまだ多分に推さない部分を残しており、それはレースに行ってみなければわからないという不安定な走りに反映された。
2戦目の新潟3歳ステークス(GⅢ、現「2歳ステークス」)はコーナーで逸走するような素振りを見せて後れをとって3着。次走のデイリー杯3歳ステークス(GⅡ、現「2歳ステークス」)は2番手からラクに抜け出すと、のちに天皇賞(春)(GⅠ)を制するメジロブライトを5馬身も千切り捨てて快勝。しかし2歳女王決定戦である阪神3歳牝馬ステークス(GⅠ、現「阪神ジュベナイルフィリーズ」)に単勝オッズ1.5倍という圧倒的な支持を受けて出走するが、鞍上も首をひねる凡走で、のちに桜花賞、オークス(ともにGⅠ)を制するメジロドーベルの4着に敗れる。
しかし3歳初戦となったシンザン記念(GⅠ)では能力を全開にし、2着に3馬身差を付けて重賞2勝目を挙げた。




