黄金世代である大里桃子がゴルフを始めたのは小3のときだ。父親の充さんが練習場へ行くときについていったのがきっかけだった。当時、水泳とバスケットボール、そしてピアノも習っていただけに、ゴルフオンリーという生活ではなかった。中学に入ってからも、陸上部に入部し、ピアノも継続していたので、空いている時間を見つけて週に1、2度練習場へ行き、土日をラウンド練習に当てていた。幸い、熊本県はジュニアゴルファーに理解があり、ハーフ1000円でラウンドできたり、ジュニア会員としての会費さえ払えば回り放題など、練習環境に恵まれていた。そんな大里がはっきりとプロゴルファーになりたいと思ったのは、中2のときに日本ジュニアで3位に入ってからだ。
それまでは小学校時代から同じ九州地区で戦うことが多かった勝みなみや新垣比菜に10打ぐらい離されることが多く、「どうしたらあんなスコアが出せるんだろう」と思いながらラウンドしていた。まずは彼女たちに追いつくことから始めようと練習していたが、まさか全国大会で3位に入れるとは夢にも思わなかった。「もっと頑張ればいい成績を残せるんじゃないか」と考え、ピアノも陸上部も辞めて、中3からは毎日練習場に通った。
高校進学後も練習に励み、熊本県の試合や九州の大会で優勝を飾ることが少なくなかった。しかし、15歳でツアー競技に優勝した勝や16歳でステップアップツアーに優勝した新垣と比べると、明らかにレベルの差を感じざるを得なかった。特に、勝が優勝したKKT杯バンテリンレディスオープンは大里がお世話になっていた熊本空港CCで開催されただけに、その勇姿を目の当たりにした。「自分は試合に出るどころか、速報係やフォアキャディを務めていたんです。正直、めちゃくちゃ悔しい思いもありましたが、すごいなという気持ちもあり、複雑でしたね」と語る。ただ、自分はどういうゴルフをするべきかという道筋は見えたのは収穫だった。
高校卒業後、2度目のチャレンジでプロテストに合格すると、わずか23日後に開催されたCAT Ladiesでツアー初優勝を飾る。プロ入会後から史上最短記録での勝利だった。「最終日、なかなかスコアが伸びないときは何をやっているんだろうと焦りましたが、プロ1年目、負けても仕方がない、ここまでよくやったと思ったら、気持ちが吹っ切れて終盤はいいプレーができました」と大里。最終18番パー5では、3打目をピンそば20センチにつけるスーパーショットを見せた。ルーキーとは思えない見事な勝ち方でギャラリーからの喝采を浴びていた。
それまでは小学校時代から同じ九州地区で戦うことが多かった勝みなみや新垣比菜に10打ぐらい離されることが多く、「どうしたらあんなスコアが出せるんだろう」と思いながらラウンドしていた。まずは彼女たちに追いつくことから始めようと練習していたが、まさか全国大会で3位に入れるとは夢にも思わなかった。「もっと頑張ればいい成績を残せるんじゃないか」と考え、ピアノも陸上部も辞めて、中3からは毎日練習場に通った。
高校進学後も練習に励み、熊本県の試合や九州の大会で優勝を飾ることが少なくなかった。しかし、15歳でツアー競技に優勝した勝や16歳でステップアップツアーに優勝した新垣と比べると、明らかにレベルの差を感じざるを得なかった。特に、勝が優勝したKKT杯バンテリンレディスオープンは大里がお世話になっていた熊本空港CCで開催されただけに、その勇姿を目の当たりにした。「自分は試合に出るどころか、速報係やフォアキャディを務めていたんです。正直、めちゃくちゃ悔しい思いもありましたが、すごいなという気持ちもあり、複雑でしたね」と語る。ただ、自分はどういうゴルフをするべきかという道筋は見えたのは収穫だった。
高校卒業後、2度目のチャレンジでプロテストに合格すると、わずか23日後に開催されたCAT Ladiesでツアー初優勝を飾る。プロ入会後から史上最短記録での勝利だった。「最終日、なかなかスコアが伸びないときは何をやっているんだろうと焦りましたが、プロ1年目、負けても仕方がない、ここまでよくやったと思ったら、気持ちが吹っ切れて終盤はいいプレーができました」と大里。最終18番パー5では、3打目をピンそば20センチにつけるスーパーショットを見せた。ルーキーとは思えない見事な勝ち方でギャラリーからの喝采を浴びていた。