ユニフォームは、チームの個性を表現できる手段であり、エンブレムやカラー、デザインを駆使し、あらゆるチームがメッセージを送っている。それは、自チームに向けての場合もあるし、サポーターに対しての場合もある。今回紹介する博多高校ハンドボール部は、高校の部活動としては珍しい、社会にメッセージを発信するケースになる。
「飲酒運転撲滅」――この取り組みについて関係者に聞いた。
■ハートで社会を変えていく(NPO法人はぁとスペース 山本美也子 代表)
2011年、福岡で2人の若者が飲酒運転事故で犠牲になった。家族や友人、学校は悲しみに暮れ、お通夜には1500名もの人が訪れた。大勢の弔問者に、「彼らはちゃんと生きてたんだな。16年と短かったけど、生きてきた証だな」と息子を失った山本美也子さんは感じたという。
当時、障がい者スポーツの普及を目的に、NPO法人はぁとスペースを立ち上げて1年が経過していた。「遺族にとって反応はそれぞれ。飲酒運転撲滅運動の応援はしたいけど、前には出たくない人が多いと思います。ただ、私は看護師として働き、読み聞かせボランティアを15年していました。伝えていくことは得意。看護の現場で、いろんな命のカタチを見てきた。そして、これ以上、大人の身勝手な行為で、子どもの命を奪ってほしくはない」と、飲酒運転撲滅運動を推し進めることに。
まず、飲酒運転撲滅運動を知ってもらうためにロゴをつくり、ステッカーを配布した。「防止することを目的にすると、デザインって『×』が多くなったり、手でストップを表すことが多くなります。だけど、私たちは、ハートが重なるマークを採用しました。怒りや憎しみで、社会は変わらない。ハートで社会を変えていきたい姿勢の表れです」
■ハンドボールを通して伝えるメッセージ(博多高校ハンドボール部 林圭介 監督)
山本さんが息子の寛大(かんた)くんを失って数年。母校・博多高校にハンドボール部ができることになった。寛大くんが中学時代にハンドボールをしていた縁が繋がり、新設ハンドボール部の袖に飲酒運転撲滅のロゴが貼られることになった。
高校の部活動における公式戦ユニフォームに、企業やNPOのロゴが入るというのは、前例がないことだったので、ハンドボール部の林圭介監督は、山本さんと一緒に、福岡県や九州、また全国の高体連で説明を行った。
「全国大会で戦うというのは、学校を背負っていくこと。ハンドボールを通して、ハンドボール以外のメッセージも伝えられる場。高校の時にこういう活動を経験することによって、大人になったときに生きてくると思ったし、ハンドボールを通して、飲酒運転撲滅運動を全国のハンドボーラーやその保護者、関係者に伝えたいと思った」と林監督は意図を語る。
■誰もが明るい社会を
高校時代に、ハンドボール男子日本代表に選出された部井久アダム勇樹(中央大)も、博多高校のOBであり、飲酒運転撲滅についての学びをよく覚えているという。「まだまだ飲酒運転がなくなるという状況にはなっていませんが、少なくとも、自分はもちろん、自分の周りからは絶対に飲酒運転を出さないようにと思っています」と語る。
NPO法人はぁとスペースの山本さんは、「私も1人では無理だった。チームだからこそできた。応援してくれる人、一緒に頑張る人。その先に笑顔になれる。林先生の想いも部員のみんなが受けてくれている。博多高校ハンド部は、私にとっても大事なチーム。子どもたちががんばっていることがモチベーションになりますね」と笑顔を見せた。
「明日が当たり前にくることはない。だったら一生懸命生きてみようと思いました」と語る山本さんは、この9年で、学校や企業、行政での講演を1000回以上行ってきた。コロナ禍の今、活動に制限はかかっているが、明るい声で言う。
「健常者も、障がい者も誰もが明るい社会を目指したいんです」
取材・文●森本茂樹
「飲酒運転撲滅」――この取り組みについて関係者に聞いた。
■ハートで社会を変えていく(NPO法人はぁとスペース 山本美也子 代表)
2011年、福岡で2人の若者が飲酒運転事故で犠牲になった。家族や友人、学校は悲しみに暮れ、お通夜には1500名もの人が訪れた。大勢の弔問者に、「彼らはちゃんと生きてたんだな。16年と短かったけど、生きてきた証だな」と息子を失った山本美也子さんは感じたという。
当時、障がい者スポーツの普及を目的に、NPO法人はぁとスペースを立ち上げて1年が経過していた。「遺族にとって反応はそれぞれ。飲酒運転撲滅運動の応援はしたいけど、前には出たくない人が多いと思います。ただ、私は看護師として働き、読み聞かせボランティアを15年していました。伝えていくことは得意。看護の現場で、いろんな命のカタチを見てきた。そして、これ以上、大人の身勝手な行為で、子どもの命を奪ってほしくはない」と、飲酒運転撲滅運動を推し進めることに。
まず、飲酒運転撲滅運動を知ってもらうためにロゴをつくり、ステッカーを配布した。「防止することを目的にすると、デザインって『×』が多くなったり、手でストップを表すことが多くなります。だけど、私たちは、ハートが重なるマークを採用しました。怒りや憎しみで、社会は変わらない。ハートで社会を変えていきたい姿勢の表れです」
■ハンドボールを通して伝えるメッセージ(博多高校ハンドボール部 林圭介 監督)
山本さんが息子の寛大(かんた)くんを失って数年。母校・博多高校にハンドボール部ができることになった。寛大くんが中学時代にハンドボールをしていた縁が繋がり、新設ハンドボール部の袖に飲酒運転撲滅のロゴが貼られることになった。
高校の部活動における公式戦ユニフォームに、企業やNPOのロゴが入るというのは、前例がないことだったので、ハンドボール部の林圭介監督は、山本さんと一緒に、福岡県や九州、また全国の高体連で説明を行った。
「全国大会で戦うというのは、学校を背負っていくこと。ハンドボールを通して、ハンドボール以外のメッセージも伝えられる場。高校の時にこういう活動を経験することによって、大人になったときに生きてくると思ったし、ハンドボールを通して、飲酒運転撲滅運動を全国のハンドボーラーやその保護者、関係者に伝えたいと思った」と林監督は意図を語る。
■誰もが明るい社会を
高校時代に、ハンドボール男子日本代表に選出された部井久アダム勇樹(中央大)も、博多高校のOBであり、飲酒運転撲滅についての学びをよく覚えているという。「まだまだ飲酒運転がなくなるという状況にはなっていませんが、少なくとも、自分はもちろん、自分の周りからは絶対に飲酒運転を出さないようにと思っています」と語る。
NPO法人はぁとスペースの山本さんは、「私も1人では無理だった。チームだからこそできた。応援してくれる人、一緒に頑張る人。その先に笑顔になれる。林先生の想いも部員のみんなが受けてくれている。博多高校ハンド部は、私にとっても大事なチーム。子どもたちががんばっていることがモチベーションになりますね」と笑顔を見せた。
「明日が当たり前にくることはない。だったら一生懸命生きてみようと思いました」と語る山本さんは、この9年で、学校や企業、行政での講演を1000回以上行ってきた。コロナ禍の今、活動に制限はかかっているが、明るい声で言う。
「健常者も、障がい者も誰もが明るい社会を目指したいんです」
取材・文●森本茂樹
