1992年バルセロナ五輪柔道男子71キロ級の金メダリストの古賀稔彦氏が3月24日、53歳で死去した。
突然の訃報を受け、ともにアトランタ五輪に参戦した野村忠宏氏は、自身が代表を務めるマネジメント会社のホームページで追悼文を発表している。
野村氏は「バルセロナオリンピックで古賀稔彦選手が怪我をかかえながら、不屈の闘志、豪快な柔道で金メダルを獲得した姿を見た瞬間、当時高校生だった私にとって憧れの選手となりました。同じ日本代表となったアトランタオリンピックでは、右も左も分からない若者だった私に、気さくに優しく接して下さり、また、柔道日本代表として競技に取り組む姿勢や厳しさを身をもって教えていただいた尊敬する大先輩です」と回顧。
53歳という若さでの古賀氏の死を「『平成の三四郎』の早すぎる訃報が信じられません。指導者としても、まだまだ柔道界を盛り上げてほしかったです。ご逝去を悼み、心からご冥福をお祈り申し上げます」と追悼した。
豪快な一本背負いを得意とし「平成の三四郎」とも呼ばれた古賀氏は、バルセロナ五輪直前の練習中に左膝靭帯損傷の大怪我を負いながらも金メダルを獲得。2000年に現役を引退し、全日本柔道連盟の強化委員や女子日本代表のコーチや自身の道場「古賀塾」にて後進の育成に努めていた。
構成●THE DIGEST編集部
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突然の訃報を受け、ともにアトランタ五輪に参戦した野村忠宏氏は、自身が代表を務めるマネジメント会社のホームページで追悼文を発表している。
野村氏は「バルセロナオリンピックで古賀稔彦選手が怪我をかかえながら、不屈の闘志、豪快な柔道で金メダルを獲得した姿を見た瞬間、当時高校生だった私にとって憧れの選手となりました。同じ日本代表となったアトランタオリンピックでは、右も左も分からない若者だった私に、気さくに優しく接して下さり、また、柔道日本代表として競技に取り組む姿勢や厳しさを身をもって教えていただいた尊敬する大先輩です」と回顧。
53歳という若さでの古賀氏の死を「『平成の三四郎』の早すぎる訃報が信じられません。指導者としても、まだまだ柔道界を盛り上げてほしかったです。ご逝去を悼み、心からご冥福をお祈り申し上げます」と追悼した。
豪快な一本背負いを得意とし「平成の三四郎」とも呼ばれた古賀氏は、バルセロナ五輪直前の練習中に左膝靭帯損傷の大怪我を負いながらも金メダルを獲得。2000年に現役を引退し、全日本柔道連盟の強化委員や女子日本代表のコーチや自身の道場「古賀塾」にて後進の育成に努めていた。
構成●THE DIGEST編集部
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