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「僕は別次元にいた」1988年のモナコで覚醒したアイルトン・セナ。94年のグリッドに“マイスター”の姿はなかった【名ドライバー列伝〈中編〉】

甘利隆

2021.05.19

天才の名をほしいままにしたセナは、難しいモナコGPを得意としていた。(C)Getty Images

天才の名をほしいままにしたセナは、難しいモナコGPを得意としていた。(C)Getty Images

 そのレーシングキャリアにおいて、数々の名シーンを演じたアイルトン・セナ。とりわけ伝統のモナコGPでは、前編で紹介した1984年をはじめ、格別の光を放った。

「モナコでの勝利は他のグランプリの3勝分に値する」ともいわれ、セナの通算6勝はグラハム・ヒル、ミハエル・シューマッハの5勝を上回って史上最多。ポールポジション5回も同じく最多記録だ。

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 公道を閉鎖して作られたコースは、ストレートが短いため、マシンのパワー差が出にくく、時にガードレールからわずか数センチまで迫って走るレイアウトは、グランプリ開催コースの中でドライバーの技量が最も試される。

 それ故、3勝以上したドライバーは『モナコ・マイスター』と呼ばれ、賞賛を受ける。

 1987年にロータス・ホンダでモナコ初優勝を遂げたセナは、マクラーレン・ホンダに移籍した翌1988年もモンテカルロ市街地コースで強烈な印象を残す。
 
 この年、チームメイトのアラン・プロストと共に全16戦中15勝を挙げることになるマクラーレン・MP4/4を駆るセナは、プロストにおよそ1秒半の大差をつけ、ポールポジションを獲得。決勝レースでも好スタートを決め、独走する。

 しかし、2位を走るプロストを1分近く引き離し、勝利を確信してペースを落としたセナは、なんとトンネル手前のポルティエ・コーナーで縁石にタイヤをわずかに乗せてクラッシュ。自らのミスにショックを受け、ピットには戻らず、そのまま自宅のアパルトマンへと戻ってしまう。

「突然、もはや意識的にドライビングしていないことに気付いたんだ。本能のようなものでマシンを操っていて、その時、僕は別次元にいた。自分の理解をも超えた状態で、恐ろしくなった」と後に予選での走りを振り返った通り、その週末のセナはいわゆる“ゾーン”に入っていた。だが、ほんの一瞬、緊張感が緩んだだけで全てが水泡に帰してしまったのだ。

 シーズン終盤に開催された日本GPで初めてのワールドチャンピオンを決めることになるが、若き日のセナにとって、王者を目指す道程での大きなターニングポイントといえるレースとなった。
 
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