格闘技・プロレス

14歳で出稼ぎに――。東京ドームを彩ったクレベル・コイケが朝倉未来戦後に見据えたもの「ヒクソンたちとは比べられないけど…」

THE DIGEST編集部

2021.06.14

未来を破って快哉を叫んだクレベル。その表情が示す通り、日本の頂点を目指してきた男にとっては格別の勝利だった。写真:塚本凜平(THE DIGEST写真部)

「格闘技の魅力でもある、圧倒的な現実を突き付けられた瞬間だった。朝倉未来とクレベル戦で何となくオーバーラップしました」

 6月13日、東京ドームという大舞台での一大イベントを終えたRIZINの榊原信行CEOは、1997年10月11日に同じ舞台で行なわれた高田延彦とヒクソン・グレイシーの一戦を引き合いに出しつつ、朝倉未来とクレベル・コイケが織りなしたメインマッチの熱戦をしみじみと総括した。

 同氏がそう語るのは無理もない。戦前の話題性こそ24年前のそれとは異なるが、MMAイベントでは18年ぶりとなる東京ドームでのビッグマッチを華やかに締めたのが、高田を破ったヒクソンと同様にブラジリアン柔術の使い手であるクレベルだったからだ。

 だが、同じ柔術でも立場は大きく違う。当時のヒクソンは、すでに世界へ名を轟かせていたグレイシー柔術の担い手だった。しかし、誤解を恐れずに言えば、クレベルは世界的な知名度の低い「ボンサイ柔術」のファイター。事実、RIZIN3戦3勝の実績はあったが、下馬評では、人気でも勝る未来を有利と見る声は多かった。

 しかし、クレベルは2ラウンドで会場に詰め掛けた観客の視線を我が物とする。ローキックで未来をコーナーに追い込んでから一気に寝技へ。ここでベーシックな三角締めを極めて、相手を失神させた。
 
 磨き上げてきた寝技でRIZINのエースを葬り去った男が歩んできた道は、決して平たんではない。14歳で来日したクレベルは、静岡県の浜松市に住みながら、いわゆる出稼ぎ労働者として工場に勤務。連日のようにベルトコンベアを向き合う日々を送った。

 ティーンエージャーで生き延びるために祖国を離れ、仲間たちと苦労を乗り越えてきたからこそ、大舞台での勝利は格別だ。試合後、「これだけ大きな大会で勝てたのは嬉しい」と正直な胸の内を明かした。

「朝倉がこのチャンスを与えてくれたのは、本当にありがとうと言いたい。日本のMMAを有名にした彼じゃなければ、僕もここまで戦えなかった。私個人の人生も何かが変わるかもしれないけど、何よりも、私のジムの生徒たちや家族に『みんなもここまで出来るんだ』と伝えたい。

 ヒクソンやヴァンダレイ・シウバ、ノゲイラたちは、海外で選手として実績があって、日本には素晴らしいショーのためだけに来ていた。だけど、私たちが日本に来た最初の理由は、工場で働くことだった。だから、彼らとは比べられないけど、この先も日本の人たちにボンサイ柔術を知れ渡るようにやっていきたい」

 感慨に浸りながらも、その視線は早くも次戦に向いている。クレベルは、「私はたった一回の寝技でも一本勝ちを決められる。次はベルトだ」と斎藤裕とのフェザー級王座戦をけん制している。その鋭い眼光の先に見据える"獲物"を掴む日は、間違いなく近づいている。

取材・文●羽澄凜太郎(THE DIGEST編集部)