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モータースポーツ

F1最強の名将F・ウィリアムズが79歳で逝去…ハミルトンは「最後までファイターであり続けた」と敬意を表し、角田裕毅も哀悼

THE DIGEST編集部

2021.11.29

ウィリアムズ卿は、90年代前半にはマンセル(左)らを擁して黄金時代を謳歌した。(C)Getty Images

ウィリアムズ卿は、90年代前半にはマンセル(左)らを擁して黄金時代を謳歌した。(C)Getty Images

 F1の名門ウィリアムズ・チームの創設者で、代表として1980年代から90年代にかけて多くのタイトルを勝ち取ったフランク・ウィリアムズ卿が、11月26日に79歳で亡くなったことが、以下の通り、チームの公式サイトから発表された。

「ウィリアムズ・レーシングチームは、創設者ウィリアムズ卿の死去を本当に悲しんでいる。彼は我々のスポーツの伝説であり、アイコンだった。その死は、我々のチームとF1のひとつの時代の終わりを示している。彼は、他に類を見ない真のパイオニアだった。その人生にはかなりの逆境があったが、彼はチームを16回(コンストラクター9回、ドライバー7回)のタイトル獲得に導き、スポーツの歴史の中で最も成功したチームのひとつにした――」

 1942年4月16日にイングランドのサウス・シールズに生まれたウィリアムズは、ドライバー、メカニックとしてのキャリアを経て、24歳の時に「フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ」を設立してF2、F3に参戦(日本の生沢徹も所属)、1969年には中古のブラバムのマシンを購入してF1でも出走させている。
 
 70年にドライバーのピアース・カレッジが事故死、以降は借金がかさんで76年にカナダの実業家ウォルター・ウルフにチームの株式60%を売却し、翌年には自らチームを離脱。すぐにオックスフォードシャー州のディトコットにあった古いカーペット工場を本拠に「ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング」を設立。名参謀パトリック・ヘッドとの二人三脚でF1の舞台に戻ると、サウジアラビア航空のサポートを受けたチームは、79年にクレイ・レガッツォーニのドライビングで初優勝を飾った。

 80年にアラン・ジョーンズの活躍で初のコンストラクターズ・タイトルを獲得し、翌年はケケ・ロズベルグによって連覇を飾るなど強豪チームに昇り詰め、毎年、チャンピオンシップを争うまでになったが、86年3月にフランスのポール・リカール・サーキットから空港に向かう途中に自らが運転する車が横転して脊椎損傷の重傷を負い、以降は下半身麻痺によって車椅子での生活を余儀なくされる。チームはネルソン・ピケを擁して86年から再び連覇を果たすが、87年にホンダエンジンを失って厳しい時期を過ごした。
 

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