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フィギュア

「引退したほうがいいのかな」――悩める宇野昌磨がつかんだ悲願の世界王者。背景にあった共に歩んだ名手の存在

長谷川仁美

2022.04.10

現在は、ランビエール氏(左)に師事している宇野(右)。(C)Getty Images/(C)International Skating Union (ISU)

現在は、ランビエール氏(左)に師事している宇野(右)。(C)Getty Images/(C)International Skating Union (ISU)

 宇野昌磨は満ち満ちていた。

 世界選手権のFS(フリースケーティング)『ボレロ』の最終盤。ダイナミックなメロディに合わせた、力強く複雑なステップシークエンス。体力的にもきついところだが、それを感じさせない充実感に溢れた表情でステップを踏んでいく。どこか清々しさも感じさせた。演技を終えた宇野の目は、生き生きとしている。そして、かみしめるように、うん、うんと頷いた。

 そして宇野は、世界選手権初優勝を決めた。

 振り返ると、激動の数年間だった。平昌五輪銀メダル獲得後の2019年6月には、5歳から指導を受けてきた山田満知子氏、樋口美穂子氏のもとを離れ、コーチなしで新シーズンを迎えた。次第に不振に悩むようになり、「引退したほうがいいのかな」と考えることもあったという。

 そんななか、2019年11月に出場したグランプリシリーズ・フランス大会では、SP(ショートプログラム)、FSとも転倒が続いた。1人で座るFS後のキス&クライでは、涙を見せた。「宇野が……」とスケート界が衝撃を受けたこの大会を、後に本人は「そこが自分の分岐点だった」と話した。

 ここから彼のスケーター人生は、それまでとは大きく変わっていった。

 たとえば、「失敗しても、成績は落ちるけれど、意外と何か終わってしまうというものではないんだな」と気づいたのだという。そして、平昌五輪2位などの過去の結果にとらわれる日々から、抜け出すようになった。

 そしてもうひとつ、この大会後からステファン・ランビエール氏と練習するようになり、ほどなくして正式に師事すると決めた。

 2006年トリノ五輪で銀メダルを手にし、同年の世界選手権で2連覇したランビエール氏は、2007年1月に「自分の内にあった炎がなくなった」と、ヨーロッパ選手権を欠場している。その後気持ちを取り戻して競技に戻るのだが、2008年秋には、故障のために1度目の引退も経験した。

 その後の治療経過が良好だったため、2009年7月に現役復帰。1シーズンを世界トップで戦っている。こうした休養や引退からの復帰後最初の大会(2007年世界選手権FSや2009年ネーベルホルン杯SP)でのランビエール氏は、演技する喜びとパッションに満ち満ちていた。

 そう、ランビエール氏は、スケートへの気持ちが高まらない苦しさと、もう一度と競技に向かうときの思いやその時期の練習などについて、よく知っているコーチでもあったのだ。
 
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