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食と体調管理

確固たる信念を貫き続けて2度の五輪出場を掴んだビーチバレーボール選手・石島雄介が目指すさらなる大舞台!過酷なビーチで戦う体を支える食生活

元川悦子

2022.08.01

写真提供:TOYOTA

写真提供:TOYOTA

 明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。第20回はTOKYO2020のビーチバレーボールに出場した石島雄介選手が登場。

 ビーチバレーボールで活躍する現在はもちろんのこと、エースとして北京五輪に出場したのちビーチへ転向したきっかけ、インドア選手時代の悔しさ、それを原動力にビーチ選手として挑んだ東京五輪、今後の目標、38歳でさらなる飛躍を目指すための食生活まで幅広く語ってくれた。

■バレーボールを始めたきっかけ

――中学でバレーボールを始めたということですが?

 もともとは父の影響で剣道をやっていて、中学に入ってからも続けようと思っていましたが、剣道部がなかったんです。そこでバレーボールはどうかなと。

 先輩もいなくて、新入生が来なかったら廃部ってことだったんで、たまたま5人集まってやろうかという話になりました。当初は5人だったんで試合もできず、体育館も使わせてもらえなかったので、外で適当に走ったりしてましたが、2年になって2人新入生が入ってくれて廃部を免れた。最初は先輩面していたんですが、後輩から「俺らが入んなかったら試合出れないでしょう」って言われて、「ごめんごめん」みたいな感じでした(笑)

――強豪校というわけではなかったんですね。指導者はいたんですか?

 先生も月1回くらいしか来なかったんです。先生が来ないと思ってふざけてると、たまに来るから、「お前ら廃部だ」と冗談で言われて(笑)。全然、エリートではなかったです。もう本当に伸びのびとしてました。

――そこから名門の深谷高校へ?
 
 身長が185㎝くらいあったから、「デカいやつがいる」ってことになって、声をかけてもらったんです。県で一番の強豪校だったけど、どうせやるなら一番のところに行こうと考えました。ただ、あまりにもきつくて何回も挫折しましたね。

 寮に入ったんですが、ホームシックになってしまって。1年の秋くらいからは退寮して片道2時間かけて通うことになりました。

 やっぱり心が落ち着く瞬間がほしくて。自分の中で拠り所というか。それが僕の場合は母親、そして家族の存在でした。よくエリートだと思われるんですが、挫折は繰り返してきました。バレーボールの基本的なものができたのは高校になってからですね。

――そんななかで春高バレーに出場しました。急激なレベルアップのきっかけは?

 あるところまで来たら、もう腹くくって、「やってやる」という感じでした。もともと負けず嫌いでしたし、その環境でしっかりやって、勝ちたいって思いしかなかったですね。

――本気で取り組めるようになって、これからもバレーボールで生きていこうと思った?

 いや、そこまではなかったです。少し良い時期があっても、そのあと1年間くらい全然ダメで、モチベーションは上がらないし、先生に反抗したりとか、チームメートに迷惑をかけたりしてしまって。
 
 2年生くらいの時かな。いろいろあったけど、受け入れてくれる監督さん、一緒にいる仲間がいたのが大きかったですね。チームに戻った時、何も言わずに受け入れてくれましたから。

――信じられないですね。練習行かない時期があったとは驚きです

 僕は性格が独特だったと思いますが(笑)、そういうのを受け入れてくれた高校と大学時代の仲間とか先生は大きいですね

――高いものを求めている集団だった?

 そうですね、「やっぱり勝つためにはお前が必要だ」と言ってもらえました。いろんなことがあっても最終的には勝ちたいから、性格や友情を超えたプロフェッショナルのような意識が強かったんですよね。

 高校生だとそういうのはなかなかないと思いますが、僕たちの高校は自立した集団というのかな。今、振り返ると高校と大学はすごかったと思います。
 
――その後は筑波大学へ進学されています。大学生活は?

 勉強の方はあまり得意ではなかったですが、必死に単位取っていくなかでいろいろ学ばせてもらったなという思いはあります。

 今はもう亡くなられてしまったんですけど、筑波大学のバレーボール部の監督の都沢凡夫先生がおっしゃっていた「汗は人を裏切らない」という言葉には、今も大きな影響を受けています。

 みんな運動して汗はかくと思うんですけど、その汗のかき方1つで物事が変わってくるじゃないですか。一生懸命動いて「汗をかいたな」と思うだけじゃなくて、自分で考えて行動して、失敗もあるし、成功もあるし、その中で得た汗っていうのは自分を成長させてくれますよね。

 チームスポーツになれば、1人1人の頑張りがチームとしての成果につながっていく。その過程がとても重要だと先生に言われていたので、その言葉に全てが詰まっているんだなと。今も競技を続ける中で大事にしています。

――いい指導者・仲間に会えることも子供たちにとって大きい。

大きいと思います。

――堺ブレイザーズに入って日本代表。その間にブラジルへ行ってますね。

 そうですね、大学4年の時にイタリアのセリエA2のトライアウトで合格できたんですが、給料的な面で不安もあり、まずはブレイザーズ入りを決めました。

 内定選手として試合に出場する機会を頂き、リーグ優勝もできました。その頃、チームメートのブラジル人選手から「ブラジルなら給料が安くても生活できるよ」と聞いて、日本代表入りするためにターゲットをイタリアからブラジルに変えました。

 当時は代表で十分にやれるというイメージが持てていなかったので、「海外で成功して逆輸入で代表入りする、そのためにブラジルに渡る」と考えたんです。

 ただ、結果的には内定選手のうちに代表のメンバーに入れた。それは幸運でしたし、考えていたよりも早く代表に入れたことはバレー選手としてこれからのキャリアを考えるうえで大きかったかなと思います。
 

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