格闘技・プロレス

アントニオ猪木さんが79歳で逝去。アリとの“伝説の異種格闘技戦”など「元気があれば何でもできる」を体現した生涯

THE DIGEST編集部

2022.10.01

アリとの激闘は当時でこそ茶番だと揶揄されたが、のちに伝説の試合として評価を高めた。(C)Getty Imaegs

"偉人"がこの世を去った。

 10月1日、元プロレスラーのアントニオ猪木(本名・猪木寛至)さんが、自宅で死去した。享年79歳だった。

 国民的な人気を誇った偉大なるレスラーだった。

 13歳で家族とともにブラジルへ渡り、コーヒー農場などで働いていた猪木さんは、現地の陸上競技大会の砲丸投げで優勝した際、ブラジル遠征中だった故・力道山さんにスカウトされてプロレスの世界に足を踏み入れる。これが伝説の始まりだった。
 
 そして、1960年9月30日に日本プロレスでプロ野球界から転向した故・ジャイアント馬場さんと同日デビューを果たし、62年からは「アントニオ猪木」を名乗って活躍。その後、日本プロレスからの離脱、復帰、そして追放を経て、72年に新日本プロレスを立ち上げ。プロレスの黄金期を築いた。

 また、76年6月に実現したボクシングの世界ヘビー級王者であるモハメド・アリ(アメリカ)との「異種格闘技戦」は注目を浴び、世界中に衛星生中継された。当時は「茶番」とも揶揄されたこの一戦では、リングに寝ころびながら猪木さんが繰り出した「アリキック」が、アリ陣営の求める制約のなかで編み出した特異な戦法であると後に評価。今なお国内外で色褪せない伝説の試合となっている。

 晩年は病との格闘の日々だった。昨年1月からは腰の病気や持病の心臓の病気『心アミロイドーシス』を患って入院。同年8月以降は自宅に戻って治療を続ける中で、SNSなどで闘病生活の様子を積極的に発信。今年8月には24時間テレビに車椅子姿で出演。お茶の間に「1、2、3、ダァーッ!」とお馴染みのポーズを披露していた。

「元気があれば何でも出来る!」――それを己の身でもって体現した猪木さん。最後まで闘い続けた生涯を終えた。

構成●THE DIGEST編集部