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格闘技・プロレス

オカダ・カズチカが熱望したアントニオ猪木との“夢”は途絶える。それでも「燃える闘魂」は永遠に受け継がれる【追悼コラム】

どら増田

2022.10.02

猪木氏が築いた「ストロングスタイル」は、後輩にあたるオカダたちにも受け継がれていく。(C)Getty Images、(C)新日本プロレス

猪木氏が築いた「ストロングスタイル」は、後輩にあたるオカダたちにも受け継がれていく。(C)Getty Images、(C)新日本プロレス

 10月1日、午前7時40分。新日本プロレスの創設者で、元プロレスラーのアントニオ猪木氏が亡くなった。享年79歳だった。

 猪木氏の訃報はプロレス・ファンだけに留まらず、Twitterのトレンドでも「猪木さん」が1位となるなど、日本全土に広まった。また、と1976年6月26日に日本武道館でプロボクシング世界ヘビー級王者だったモハメド・アリと異種格闘技戦を行なったことや、WWEの殿堂入りを果たした実績から、世界の格闘関係者やファンから悲しむ声が上がった。それらはいずれも猪木氏の偉大さを物語った。

 日本プロレスの父、力道山(故人)のスカウトによって人生が変わった。

 1960年9月30日に生涯のライバルであるジャイアント馬場(故人)と日本プロレスで同日デビューを飾った猪木氏は、力道山が急逝後に海外へ遠征。遠征中に豊登(故人)に説得され、新団体「東京プロレス」のエースとして凱旋帰国も団体崩壊とともに日本プロレスに復帰。馬場とのBI砲で日本のプロレス界を背負う存在へと成長した。
 
 しかし、その日本プロレスから追放されると、1972年3月に新日本プロレスを旗揚げ。その旗揚げ戦は「プロレスの神様」ことカール・ゴッチ(故人)に敗れたものの、後のストロングスタイルを確立させる試合として、今なお語り継がれている。

 常にその視野は世界を見据えていた。「対世間」を意識した猪木氏は柔道のウィリアム・ルスカと格闘技世界一決定戦として異種格闘技戦路線を始める一方で、タイガー・ジェット・シン、アンドレ・ザ・ジャイアント(故人)、スタン・ハンセン、ハルク・ホーガン、ビックバン・ベイダー(故人)といった外国人レスラーを自らが闘うことにより、世界に通用する選手へと変貌を遂げた。

 無論、そのなかで後進の育成にも寄与。藤波辰爾、長州力、前田日明、藤原喜明、初代タイガーマスク、高田延彦、武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也(故人)、獣神サンダー・ライガー、船木誠勝、鈴木みのるなど、数々の弟子たちは一線級で活躍した。
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