今回のマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)で本来ならば“大本命”となる存在だったのが鈴木健吾(富士通)だ。
4年前のMGCは15kmからペースアップ。集団を引っ張るも、最終的には7位に終わった。その後、鈴木の快進撃が幕を開けた。
2021年2月のびわ湖毎日マラソンを2時間4分56秒の日本記録で優勝。翌年は3月の東京マラソンをパフォーマンス日本歴代2位の2時間5分28秒で走破して、妻・一山麻緒とともにオレゴン世界選手権代表に選ばれたのだ。
このまま“日本マラソン界のエース”に君臨するかと思われたが、今度は次々と不運に襲われる。昨夏はオレゴン入りしてから夫婦ともに新型コロナウイルスに感染して、世界選手権を欠場。それまで順調にトレーニングを積んでいたため、10月のロンドンマラソンの出場を目指したが、調子が戻らず、自らの判断でキャンセルした。
今年は3月の東京マラソンを予定するも、今度は股関節まわりを痛めて、出場を見送った。何度も失意を味わった鈴木だが、オリンピックの夢が頭から消えることはなかったという。
「4年前のMGCを経験して、その後、東京五輪を目の前で観て、次こそは自分もこの舞台で走りたい、という思いが強くなったんです。そこから4年間、パリ五輪にこだわってやってきました」
鈴木は6月25日の函館ハーフマラソンに出場。昨年3月の東京マラソン以来、1年3か月ぶりのレースを1時間2分46秒(7位)で走り切り、本格的なマラソン練習に入ったという。
「本当はもうちょっと練習をしてからハーフに臨みたかったんですけど、7月にはレースがあまりなかったので、自分の状態を見極める意味で函館ハーフを走りました。マラソン練習を始めたばかりのなかでは、悪くないかなという感じでしたね。そこから少しずつMGCに向けた練習を積んできました。また体調を崩したり、ケガで試合を棄権する状況が続いていたので、自分を見つめ直しながら生活もしてきたんです」
4年前のMGCは15kmからペースアップ。集団を引っ張るも、最終的には7位に終わった。その後、鈴木の快進撃が幕を開けた。
2021年2月のびわ湖毎日マラソンを2時間4分56秒の日本記録で優勝。翌年は3月の東京マラソンをパフォーマンス日本歴代2位の2時間5分28秒で走破して、妻・一山麻緒とともにオレゴン世界選手権代表に選ばれたのだ。
このまま“日本マラソン界のエース”に君臨するかと思われたが、今度は次々と不運に襲われる。昨夏はオレゴン入りしてから夫婦ともに新型コロナウイルスに感染して、世界選手権を欠場。それまで順調にトレーニングを積んでいたため、10月のロンドンマラソンの出場を目指したが、調子が戻らず、自らの判断でキャンセルした。
今年は3月の東京マラソンを予定するも、今度は股関節まわりを痛めて、出場を見送った。何度も失意を味わった鈴木だが、オリンピックの夢が頭から消えることはなかったという。
「4年前のMGCを経験して、その後、東京五輪を目の前で観て、次こそは自分もこの舞台で走りたい、という思いが強くなったんです。そこから4年間、パリ五輪にこだわってやってきました」
鈴木は6月25日の函館ハーフマラソンに出場。昨年3月の東京マラソン以来、1年3か月ぶりのレースを1時間2分46秒(7位)で走り切り、本格的なマラソン練習に入ったという。
「本当はもうちょっと練習をしてからハーフに臨みたかったんですけど、7月にはレースがあまりなかったので、自分の状態を見極める意味で函館ハーフを走りました。マラソン練習を始めたばかりのなかでは、悪くないかなという感じでしたね。そこから少しずつMGCに向けた練習を積んできました。また体調を崩したり、ケガで試合を棄権する状況が続いていたので、自分を見つめ直しながら生活もしてきたんです」