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食と体調管理

「パリ五輪では12秒台でメダルを」男子ハードル・泉谷駿介が目指す次の目標と日々を支える食生活

酒井政人

2024.01.09

写真提供:住友電気工業株式会社

写真提供:住友電気工業株式会社

 アスリートへのインタビューを通し、明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。

 今回登場するのはブダペスト世界陸上男子110mハードルで5位入賞を果たした泉谷駿介選手(住友電工)だ。

 武相高校時代は3年時にインターハイ八種競技で優勝。順天堂大学進学後、本格的に110mハードルに取り組むようになり、急上昇していく。日本記録を2度塗り替え、世界の舞台でも堂々と勝負できる選手に成長した。独自の進化を遂げた注目のハードラーに、これまでの競技歴、その土台となる食への意識、今後の夢などを聞いた。

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■陸上競技をはじめたきっかけ

──中学で陸上競技部に入部されましたが、どんな理由があったのですか?

 単純に小学生のときに足が速く、友達が陸上競技部に入るというので、自分も一緒に入りました(笑)。小学生のときは校内でダントツに速かったような記憶があります。

──中学時代は短距離から四種競技に転向しました。

 身体の成長が遅かったこともあり、チーム内で勝てなくなってきました。2年時はリレーメンバーにも入れない状態だったので、他の種目もやってみたいなと思い、四種競技を取り組むようになりました。四種競技は400m、110mハードル、走高跳、砲丸投を行うので、新しい種目に出会えて、陸上競技の面白さを知れたのが良かったと思います。
 
■高校時代、陸上競技選手として開花

──高校は武相高校へ進学されました。

 中学時代は県大会にも出られないレベルだったのですが、高校は跳躍種目をやりたいと思い武相高校へ入学しました。1年時は走高跳が専門種目でしたが、冬季練習で部員全員が混成競技の八種目を順番にやったんです。

 そのとき想像以上に砲丸投も飛んだので、『やってみたらいいんじゃない?』と勧められたのをきっかけに八種競技を始めました。投てき種目が結構大変でしたね(笑)。

──高校では混成競技に取り組むようになり、3年時のインターハイでは八種競技で優勝されました。どんな思い出がありますか?

 インターハイはすごく印象に残っています。チーム内に強力なライバルがいたので、試合のあった2日間は常に気を張っている感じがありました。試合以外の時間ではお互い得意な種目が違いましたし、苦手な種目は教えてもらったりして、ともに支えあった関係でした。

──高校で全国トップクラスの選手に成長しました。その要因はどこにあったのでしょうか?

 高校時代は勢いのままポンポンと行っちゃった感じで、気づいたらインターハイでした。気持ちの準備はあまりできていなかったかもしれないです。混成競技はいろんな種目(100m、走幅跳、砲丸投、400m/110mハードル、やり投、走高跳、1500m)をやるので、この種目は調子が悪いから、こっちの種目で頑張ろう、という自分の調子に合わせて切り替えをしていたことが良かったのかもしれません。
 

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