残り1分で勝ち越された。
32―38。6点差だ。
【画像】W杯でも活躍した世界に名を馳せるトッププレーヤー30選 リスタートからノーミスで攻め、1トライ1ゴールを決めるのが白星の条件となった。
東京サントリーサンゴリアスの齋藤直人は、やるべきことを明確にしていた。
「どうやってボールキープをするかと、どうやってアドバンテージもらうか。それだけを考えてやりました」
3月16日。3万人超が集う愛知・豊田スタジアムで挑んでいたのは、ジャパンラグビーリーグワン1部の第10節だった。
ホストのトヨタヴェルブリッツを向こうに、最後の自軍キックオフを確保した。突進役に球を預け、また別な突進役にパス。ショートサイドと呼ばれるタッチライン際の区画と、その内側でラックを連取した。
本来はハイテンポなさばきが得意なスクラムハーフだが、この時ばかりは速さにこだわらなかった。
敵陣のゴールラインへ達するまで楕円の宝物を抱えるのが必須で、かつ、相手の反則を引き出して攻め続ける「アドバンテージ」の状態に持ち込めればなおよかった。「アドバンテージ」をもらえば、その後に流れが滞っても当該の位置からプレーし直せる。
落ち着いて適所へボールを配する裏には、苦い記憶がある。昨年7月22日に日本代表として臨んだサモア代表戦では、終盤に22―24と2点ビハインドを覆せず惜敗した。
「僕がアドバンテージをもらえていれば…みたいなことがあり、学んだんです。時間帯、点差、どう進めていくかを」
経験を実力に昇華させる26歳が豊田で「アドバンテージ」をもらったのは、8フェーズ目のことだ。向こうのひとりが危険なタックルを放ち、イエローカードでフィールドを去った。サンゴリアスはペナルティーキックを奥側へ蹴り込み、トライラインに近づいた。
ロスタイム85分。ゴールポストからやや左に到達。自軍スクラムの脇を、齋藤が抜けた。37―38。大歓声のなかでコンバージョンゴールも決まった。39―38。
プレーオフ進出をかけた4強争いが熾烈をきわめるなか、勝ち点の総数を「38」にした。12チーム中3位を保った。
「諦めずにやるところは、チームのカルチャーでもある」
身長165センチ、体重73キロ。国際戦士としては、昨秋にフランスでワールドカップへ初出場している。
27年のオーストラリア大会へ再出発した新体制の日本代表へも「選ばれたいですし、そこで必要とされる選手になりたい」。一介のアスリートとして日々、研鑽する。
「自分が成長するために必要なことは? 何が足りないのか? それに対してどうするか? …ずっと言っているんですけど、それが大事で」
32―38。6点差だ。
【画像】W杯でも活躍した世界に名を馳せるトッププレーヤー30選 リスタートからノーミスで攻め、1トライ1ゴールを決めるのが白星の条件となった。
東京サントリーサンゴリアスの齋藤直人は、やるべきことを明確にしていた。
「どうやってボールキープをするかと、どうやってアドバンテージもらうか。それだけを考えてやりました」
3月16日。3万人超が集う愛知・豊田スタジアムで挑んでいたのは、ジャパンラグビーリーグワン1部の第10節だった。
ホストのトヨタヴェルブリッツを向こうに、最後の自軍キックオフを確保した。突進役に球を預け、また別な突進役にパス。ショートサイドと呼ばれるタッチライン際の区画と、その内側でラックを連取した。
本来はハイテンポなさばきが得意なスクラムハーフだが、この時ばかりは速さにこだわらなかった。
敵陣のゴールラインへ達するまで楕円の宝物を抱えるのが必須で、かつ、相手の反則を引き出して攻め続ける「アドバンテージ」の状態に持ち込めればなおよかった。「アドバンテージ」をもらえば、その後に流れが滞っても当該の位置からプレーし直せる。
落ち着いて適所へボールを配する裏には、苦い記憶がある。昨年7月22日に日本代表として臨んだサモア代表戦では、終盤に22―24と2点ビハインドを覆せず惜敗した。
「僕がアドバンテージをもらえていれば…みたいなことがあり、学んだんです。時間帯、点差、どう進めていくかを」
経験を実力に昇華させる26歳が豊田で「アドバンテージ」をもらったのは、8フェーズ目のことだ。向こうのひとりが危険なタックルを放ち、イエローカードでフィールドを去った。サンゴリアスはペナルティーキックを奥側へ蹴り込み、トライラインに近づいた。
ロスタイム85分。ゴールポストからやや左に到達。自軍スクラムの脇を、齋藤が抜けた。37―38。大歓声のなかでコンバージョンゴールも決まった。39―38。
プレーオフ進出をかけた4強争いが熾烈をきわめるなか、勝ち点の総数を「38」にした。12チーム中3位を保った。
「諦めずにやるところは、チームのカルチャーでもある」
身長165センチ、体重73キロ。国際戦士としては、昨秋にフランスでワールドカップへ初出場している。
27年のオーストラリア大会へ再出発した新体制の日本代表へも「選ばれたいですし、そこで必要とされる選手になりたい」。一介のアスリートとして日々、研鑽する。
「自分が成長するために必要なことは? 何が足りないのか? それに対してどうするか? …ずっと言っているんですけど、それが大事で」