パリ五輪最終日の8月11日に行なわれた女子バレーボール決勝で、アメリカをセットカウント3ー0と文字通り一蹴して金メダルを勝ち取ったイタリア。その牽引車となったのが、193センチの長身からの強烈なアタックと高いブロックで計22ポイントを叩き出す大活躍を見せ、FIVB(国際バレーボール連盟)選出の大会MVPとベストオポジットに輝いたパオラ・エゴヌだ。
【画像】パリ五輪・バレー男女の"MVP&ベスト7"をチェック!
北イタリアはヴェネツィアに近い小都市チッタデッラで、ナイジェリア人の両親の下に生まれ育った25歳。14歳からFIPAV(イタリアバレーボール連盟)傘下のエリート育成チームであるクラブ・イタリアに所属し、2015年に16歳でUー18代表に選ばれると、同年の世界選手権でチームを優勝に導いてMVPに輝き、同年早くもA代表に選出されるなど、10代半ばからすでにイタリアの未来を背負う存在として期待を集めたスーパーエリートだった。
17年にはA代表でレギュラーに定着、同年のFIVBワールドグランプリ準優勝に貢献し、翌年の世界選手権でもベストオポジットに選ばれる活躍でチームに銅メダルをもたらすなど、20歳になるかならないかという若さですでに、イタリアの大黒柱と言うべき存在となっていた。
それに伴ってバレーボールの枠を越えたところでイタリアスポーツ界の若きスターとして注目を集め、21年の東京五輪で旗手に選ばれるなど、現代イタリア社会の多様性の象徴として祭り上げられるようになった。イタリアの国民的イベントであるサンレモ音楽祭でゲスト司会者を務めたり、人気TV番組にレギュラー出演するなど、スポーツの枠を超えたタレントとして公の場に出る機会も増えてきた。
しかし、注目を集めるに連れて、黒人であること、女性パートナーとの恋愛を公言したことなどを理由に、心無い誹謗中傷に晒されることも多くなり、それを巡る論争に直接的、間接的に巻き込まれるなかで精神的に疲弊し、コートでのパフォーマンスが精彩を欠く状況も見られるようになる。
それもあって、22年秋には初めてイタリアを離れてトルコのクラブチームに活動の場を移したが、代表チームでプレーする機会があるたびに、様々な形で注目を浴びて論議の的となり、それがプレッシャーとなってのしかかる状況は変わらなかった。
同年10月の世界選手権、3位決定戦でアメリカを下した直後には、スタンドの最前列にいた自身の代理人に対して「私のことは理解できないと思うけど、もう疲れ切ってしまったの。どうしてお前がイタリア人なんだ、とまで言われたのよ」と心情を吐露した場面を、近くにいた観客がスマートフォンで撮影して拡散。またもや大きな論議を呼ぶという事態が起こる。
23年に入ると、当時イタリア代表を率いていたダビデ・マッツァンティ監督は、チームの中でエゴヌだけが特別な存在になる状況を好まず、ちょうどその時期に台頭してきた若手エカテリーナ・アントロポワをオポジットに起用し、エゴヌをベンチに置くことも多くなっていく。ただ、8月の欧州選手権では、準決勝でエゴヌを控えに置いてトルコに敗れたことで指揮官への批判が高まるという状況も生まれた。
勝ったトルコを率いていたイタリア人監督で、クラブチームで3年間に渡ってエゴヌを指揮した経験を持つダニエレ・サンタレッリが、「パオラは独力で試合に勝てる世界最強のオポジットだ。彼女がベンチに座っているのを見て心が痛んだ」とまでコメントしたほど。この欧州選手権を通して指揮官とエゴヌの関係が決定的に悪化したのを受けたFIPAVは、オリンピックまであと半年あまりとなった11月、マッツァンティ監督の解任に踏み切ることになる。
その後任として招聘されたのが、かつて1990年代にイタリア男子代表を率いてアトランタ五輪で銀メダルを勝ち取るなど一時代を築き、その後もクラブチームや世界各国の代表チームで監督を務めたアルゼンチン人の名伯楽フリオ・ベラスコだった。
ベラスコはバレーボール界にとどまらずサッカーなどを含むイタリアのスポーツ界全体で優れたモチベーターとして高い評価を集める偉大なコーチで、一時はサッカー・セリエAのラツィオやインテルでクラブの経営陣に加わったほど。近年はイタリア男子代表の育成年代コーディネーターとしてアンダー世代の代表を統括するなど、マネジメント的な仕事に転じていたが、FIPAVの要請を受ける形で初めて女子代表を率いることになった。
オリンピックの前哨戦となる6月のネーションズリーグに向けてチームを初招集したベラスコは、エゴヌをオポジットのレギュラーに据えながらも、状況に応じてアントロポワと併用。主力として評価しながらも特別扱いはしないという原則を貫いて、エゴヌ(だけでなくそれぞれのプレーヤー)がチームの一員として最大のパフォーマンスを発揮できる環境を短期間で整える。
そのネーションズリーグでは、チームとしての結束を取り戻したイタリアが、世界ランキング1位のブラジルを倒して決勝に勝ち上がってきた日本を3ー1で下して優勝。この試合でエゴヌは27ポイントを叩き出す大活躍を見せてMVPに輝くという完全復活を果たした。
こうしてイタリアはベラスコの下、考えうる最高の状態でパリ五輪に臨むことができた。強敵トルコを含むグループCを3戦全勝で1位突破すると、準々決勝でセルビア、準決勝では再びトルコを3ー0で下し、アメリカとの決勝でも相手にほとんど勝機を与えることなく圧勝してみせた。今大会で失ったセットは予選ラウンド初戦のドミニカ共和国戦でのひとつだけ。ほぼ完璧な形で頂点に上り詰めた。エゴヌも冒頭で見たとおり、22ポイントを叩き出してMVPを獲得。あらためてヒロインの座に返り咲いた。
「私にとって最も素晴らしい日になったわ。世界中のアスリートが夢見るタイトルを、これまで私を支えてくれた家族、恋人、友人の目の前で勝ち取ることができたのだから。まだ信じられないけれど、本当に誇らしい気持ち。(昨年秋の前監督との確執から)もう一度立ち上がって、このチームの一員として掴み取った勝利だからなおさらね。この金メダルの多くは監督の力だと思う。私たち全員をひとつにして、一時は失いかけていたチームとしての結束を取り戻させてくれた。私たち一人ひとりの強みをひとつに束ね、困難にも立ち向かえる集団にしてくれた。これからもこのまま進んでいきたいわ」
文●片野道郎
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北イタリアはヴェネツィアに近い小都市チッタデッラで、ナイジェリア人の両親の下に生まれ育った25歳。14歳からFIPAV(イタリアバレーボール連盟)傘下のエリート育成チームであるクラブ・イタリアに所属し、2015年に16歳でUー18代表に選ばれると、同年の世界選手権でチームを優勝に導いてMVPに輝き、同年早くもA代表に選出されるなど、10代半ばからすでにイタリアの未来を背負う存在として期待を集めたスーパーエリートだった。
17年にはA代表でレギュラーに定着、同年のFIVBワールドグランプリ準優勝に貢献し、翌年の世界選手権でもベストオポジットに選ばれる活躍でチームに銅メダルをもたらすなど、20歳になるかならないかという若さですでに、イタリアの大黒柱と言うべき存在となっていた。
それに伴ってバレーボールの枠を越えたところでイタリアスポーツ界の若きスターとして注目を集め、21年の東京五輪で旗手に選ばれるなど、現代イタリア社会の多様性の象徴として祭り上げられるようになった。イタリアの国民的イベントであるサンレモ音楽祭でゲスト司会者を務めたり、人気TV番組にレギュラー出演するなど、スポーツの枠を超えたタレントとして公の場に出る機会も増えてきた。
しかし、注目を集めるに連れて、黒人であること、女性パートナーとの恋愛を公言したことなどを理由に、心無い誹謗中傷に晒されることも多くなり、それを巡る論争に直接的、間接的に巻き込まれるなかで精神的に疲弊し、コートでのパフォーマンスが精彩を欠く状況も見られるようになる。
それもあって、22年秋には初めてイタリアを離れてトルコのクラブチームに活動の場を移したが、代表チームでプレーする機会があるたびに、様々な形で注目を浴びて論議の的となり、それがプレッシャーとなってのしかかる状況は変わらなかった。
同年10月の世界選手権、3位決定戦でアメリカを下した直後には、スタンドの最前列にいた自身の代理人に対して「私のことは理解できないと思うけど、もう疲れ切ってしまったの。どうしてお前がイタリア人なんだ、とまで言われたのよ」と心情を吐露した場面を、近くにいた観客がスマートフォンで撮影して拡散。またもや大きな論議を呼ぶという事態が起こる。
23年に入ると、当時イタリア代表を率いていたダビデ・マッツァンティ監督は、チームの中でエゴヌだけが特別な存在になる状況を好まず、ちょうどその時期に台頭してきた若手エカテリーナ・アントロポワをオポジットに起用し、エゴヌをベンチに置くことも多くなっていく。ただ、8月の欧州選手権では、準決勝でエゴヌを控えに置いてトルコに敗れたことで指揮官への批判が高まるという状況も生まれた。
勝ったトルコを率いていたイタリア人監督で、クラブチームで3年間に渡ってエゴヌを指揮した経験を持つダニエレ・サンタレッリが、「パオラは独力で試合に勝てる世界最強のオポジットだ。彼女がベンチに座っているのを見て心が痛んだ」とまでコメントしたほど。この欧州選手権を通して指揮官とエゴヌの関係が決定的に悪化したのを受けたFIPAVは、オリンピックまであと半年あまりとなった11月、マッツァンティ監督の解任に踏み切ることになる。
その後任として招聘されたのが、かつて1990年代にイタリア男子代表を率いてアトランタ五輪で銀メダルを勝ち取るなど一時代を築き、その後もクラブチームや世界各国の代表チームで監督を務めたアルゼンチン人の名伯楽フリオ・ベラスコだった。
ベラスコはバレーボール界にとどまらずサッカーなどを含むイタリアのスポーツ界全体で優れたモチベーターとして高い評価を集める偉大なコーチで、一時はサッカー・セリエAのラツィオやインテルでクラブの経営陣に加わったほど。近年はイタリア男子代表の育成年代コーディネーターとしてアンダー世代の代表を統括するなど、マネジメント的な仕事に転じていたが、FIPAVの要請を受ける形で初めて女子代表を率いることになった。
オリンピックの前哨戦となる6月のネーションズリーグに向けてチームを初招集したベラスコは、エゴヌをオポジットのレギュラーに据えながらも、状況に応じてアントロポワと併用。主力として評価しながらも特別扱いはしないという原則を貫いて、エゴヌ(だけでなくそれぞれのプレーヤー)がチームの一員として最大のパフォーマンスを発揮できる環境を短期間で整える。
そのネーションズリーグでは、チームとしての結束を取り戻したイタリアが、世界ランキング1位のブラジルを倒して決勝に勝ち上がってきた日本を3ー1で下して優勝。この試合でエゴヌは27ポイントを叩き出す大活躍を見せてMVPに輝くという完全復活を果たした。
こうしてイタリアはベラスコの下、考えうる最高の状態でパリ五輪に臨むことができた。強敵トルコを含むグループCを3戦全勝で1位突破すると、準々決勝でセルビア、準決勝では再びトルコを3ー0で下し、アメリカとの決勝でも相手にほとんど勝機を与えることなく圧勝してみせた。今大会で失ったセットは予選ラウンド初戦のドミニカ共和国戦でのひとつだけ。ほぼ完璧な形で頂点に上り詰めた。エゴヌも冒頭で見たとおり、22ポイントを叩き出してMVPを獲得。あらためてヒロインの座に返り咲いた。
「私にとって最も素晴らしい日になったわ。世界中のアスリートが夢見るタイトルを、これまで私を支えてくれた家族、恋人、友人の目の前で勝ち取ることができたのだから。まだ信じられないけれど、本当に誇らしい気持ち。(昨年秋の前監督との確執から)もう一度立ち上がって、このチームの一員として掴み取った勝利だからなおさらね。この金メダルの多くは監督の力だと思う。私たち全員をひとつにして、一時は失いかけていたチームとしての結束を取り戻させてくれた。私たち一人ひとりの強みをひとつに束ね、困難にも立ち向かえる集団にしてくれた。これからもこのまま進んでいきたいわ」
文●片野道郎
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