2011年に惜しまれながら閉じられた名門メジロ牧場は、その長い歴史のなかで2頭の歴史的名牝を送り出した。1頭は1986年、JRA史上初の牝馬三冠に輝いたメジロラモーヌ。そしてもう1頭が、1990年代後半にGⅠレース5勝という、当時の牝馬最多勝利記録を更新したメジロドーベルである。
メジロドーベルの父は、1991年の宝塚記念(GⅠ)を制したメジロライアン。母のメジロビューティーは、曾祖母に朝日杯3歳ステークス(現・朝日杯フューチュリティステークス)で並みいる牡馬を下して優勝し、1965年の最優秀2歳牝馬に輝いたメジロボサツを持つ、メジロ牧場の根幹牝系に連なっている。ちなみにこの牝系からは、GⅠレース6勝を挙げたモーリスも出ている。名を挙げた馬の冠号を見ればお分かりだろうが、父から母系まですべて自家生産の馬で固められたメジロ血統の結晶がメジロドーベルであるとも言える。
メジロドーベルは悍性が強すぎるきらいがあり、レースでは騎手の折り合いがカギになったが、その問題をクリアすれば牝馬ではトップレベルの能力を発揮した。
彼女が預けられたのは、美浦トレーニングセンターの大久保洋吉厩舎。大久保の父、末吉はメジロムサシで天皇賞(春)を制するなど、先代からメジロ牧場とのつながりが深く、メジロドーベルもそうした関係のもとに大久保のもとへと預託された。
早稲田大学工学部を卒業して一級建築士の資格を持ち、建設会社での勤務経験を持つ大久保ではあったが、生まれた頃から東京競馬場の厩(うまや)育ちで、昔かたぎの厩舎人としての顔も持つ大久保は、預かった新人ジョッキーを厳しくも大切に育てるトレーナー。ゆえに、経験不足は承知で自厩舎の馬にはできる限り所属騎手である吉田豊を乗せて経験を積ませた。メジロドーベルがデビューを迎えたとき、吉田はまだ重賞勝利もないデビュー3年目の若輩だったが、オーナーの了解を得て鞍上に起用。以降、走った21のレースすべてで彼女の手綱をとり、ともに成長していくことになる。
メジロドーベルの父は、1991年の宝塚記念(GⅠ)を制したメジロライアン。母のメジロビューティーは、曾祖母に朝日杯3歳ステークス(現・朝日杯フューチュリティステークス)で並みいる牡馬を下して優勝し、1965年の最優秀2歳牝馬に輝いたメジロボサツを持つ、メジロ牧場の根幹牝系に連なっている。ちなみにこの牝系からは、GⅠレース6勝を挙げたモーリスも出ている。名を挙げた馬の冠号を見ればお分かりだろうが、父から母系まですべて自家生産の馬で固められたメジロ血統の結晶がメジロドーベルであるとも言える。
メジロドーベルは悍性が強すぎるきらいがあり、レースでは騎手の折り合いがカギになったが、その問題をクリアすれば牝馬ではトップレベルの能力を発揮した。
彼女が預けられたのは、美浦トレーニングセンターの大久保洋吉厩舎。大久保の父、末吉はメジロムサシで天皇賞(春)を制するなど、先代からメジロ牧場とのつながりが深く、メジロドーベルもそうした関係のもとに大久保のもとへと預託された。
早稲田大学工学部を卒業して一級建築士の資格を持ち、建設会社での勤務経験を持つ大久保ではあったが、生まれた頃から東京競馬場の厩(うまや)育ちで、昔かたぎの厩舎人としての顔も持つ大久保は、預かった新人ジョッキーを厳しくも大切に育てるトレーナー。ゆえに、経験不足は承知で自厩舎の馬にはできる限り所属騎手である吉田豊を乗せて経験を積ませた。メジロドーベルがデビューを迎えたとき、吉田はまだ重賞勝利もないデビュー3年目の若輩だったが、オーナーの了解を得て鞍上に起用。以降、走った21のレースすべてで彼女の手綱をとり、ともに成長していくことになる。
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