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前リバプール監督のクロップ、パリに登場! 親友のバドミントン選手にエールを送り、パラスポーツへのさらなる支援を全世界に訴え【パリパラリンピック】

THE DIGEST編集部

2024.08.30

チス(左)を応援するために、パリに駆け付けたクロップ(右)。(C)Getty Images

 前リバプール監督のユルゲン・クロップが、パリで行なわれているパラリンピックに姿を見せた。クロップはパラバドミントンに出場するポーランド系ドイツ人で、今回はニュージーランド代表として大会に臨むヴォイテク・チスを応援するためパリに足を運んだ。2人は20年以上前からの親友だという。英紙『Guardian』『Daily Mirror』『Sun』などが報じた。

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 チスは、元々はサッカー選手だった。21歳だった2001年に当時3部のフォルトゥナ・ケルンと念願のプロ契約。ところがその4日後、所属していたアマチュアクラブの試合中に相手GKと交錯して左足を複雑骨折し、主要な血管も破壊されてしまった。病院での診断の結果、左足下部の切断を余儀なくされた。

 サッカー選手生命を絶たれたチスだったが、左足の切断を挫折と捉えるのではなく、厳しい逆境を不屈の精神力でチャンスに変えた。「自分の障害を受け入れ、それに恥じないこと。私は別の人間に変わったわけではない。私は以前と同じ人間で、自分の運命は自分で切り開ける」と考えるようになったチスは、ケルン体育大学でスポーツ科学を学びながら、パラリンピック出場を目標に掲げた。

「私の夢は、満員のスタジアムでゴールを決めて、大観衆に祝福してもらうことだった。これがプロサッカー選手になりたかった理由のひとつだ。パラ競技に臨むにあたっては、成功への純粋なモチベーションに溢れていた。結果や記録など考えず、ただひとつのことだけを望んでいた。満員のスタジアムで観衆と一緒に祝うことだ」

 前向きになったチスは、2002年に行なわれたチャリティーサッカーの試合で01年にマインツの監督に就任したばかりのクロップと知り合った。02年のことだった。クロップは「あの時、わたしたちはそれぞれ新たなキャリアを始めたばかりだった。一緒にスタートを切ったようなものだ」と、13歳も年下のパラアスリートとの出会いを振り返った。

 運動神経に秀でていたチスは、パラ陸上競技ですぐに頭角を現わした。国内はもちろん欧州選手権でも好結果を出し続け、2004年のアテネパラリンピックに出場。100メートル、200メートル、走り幅跳びで金メダルを獲得し、08年北京パラリンピックでも走り幅跳びで世界記録の6.50メートルで金メダルに輝いた。12年ロンドンパラリンピックでは走り幅跳びで銀メダル、100メートルと100メートルリレーでそれぞれ銅メダルを獲得している。

 ドイツで最も成功したパラアスリートと呼ばれたチスは、ロンドン大会を最後にパラ陸上から引退。その後はフリーダイビングに挑戦し、障害者部門で5度も世界記録を塗り替えた。さらに認定ダイビングインストラクターとしてチャリティーセーリングに熱を上げ、妻のエレナ・ブランビッラさん(イタリア人の元走り幅跳び選手)とともに世界各国を巡りながら、発展途上国の障害者に義肢を無料で提供。障害者支援やパラスポーツの普及に力を注いだ。

 新型コロナウイルスの蔓延で足止めされたニュージーランドに家族で移住を決めたチスは、3年前の21年から興味を持っていたバドミントンの選手として活動を開始。44歳にして、自身4度目となるパラリンピック出場を成し遂げた。
 
 そんなチスに対して、クロップは自身のSNSで「Good luck for tomorrow my friend」と記載。エッフェル塔を背景にした2ショット写真も公開してエールを送った。現地8月29日に行なわれたパラリンピック・バドミントン男子のグループステージ初戦でチスは英国のベセル・ダニエルに敗れてしまい、黒星スタートとなった。30日にはウクライナのオレクサンドル・チルコフと第2戦を戦う。

 初戦を観戦したクロップは、「残念ながら負けてしまったが、晴らしい試合だった。試合を楽しめたよ。ちなみに彼は44歳だ。彼の素晴らしい妻の並んで観戦していたが、二人とも涙ぐんでしまった。スポーツは常に結果が大事だと理解しているが、その裏にはもっと多くのストーリーがある。彼の試合はいつも感動してしまうんだ。理解しきれないほどにね」と率直な心境を口にした。

 さらに、「私たちはここパリで五輪を経験した。世界では様々な問題が起きているが、あの2週間半はそれを忘れることができた。なぜなら、それがスポーツの力だからだ。それはパラリンピックも同じで、何の違いもない」と続け、「アスリートの裏にある物語はいつも特別だ。私の友人は超特別な人間なのだが、スポーツが世界を変えることができるのは間違いない。それがスポーツのいいところだ。ほんの一瞬だけ、あるいは永遠に変わることもある」と語った。

 そしてクロップは、「パラスポーツでキャリアを続けたいと願う選手たちへの支援をもっと増やすべきだ」と主張した。「テレビ放送は完全なビジネスだと理解しているが、もっと多くのパラスポーツや選手を番組で取り上げるべきではないだろうか。選手にとって放送はとても励みになるし、とても素晴らしいことだからだ」と、大々的なパラスポーツの普及促進を訴えた。

 一方のチスも、「ユルゲンがパリに来たいと聞いて、最初は信じられなかった。でも、ユルゲンは私のためだけではなく、パラリンピックとパラスポーツがいかに素晴らしいのかを世間に訴えるためにここにいる。ユルゲンのような人物が声を挙げれば、何かが変わるかもしれない。次の世代がスポーツにもっと簡単に取り組めるような手段はないだろうか。バドミントンであれ、陸上競技であれ、何であれ、競技へのより良いアクセス、より良いサポートが求められている。それを世界に知ってもらうのが、私たちの存在意義なんだ」と、パラスポーツの認知度向上を訴えた。

 クロップとチスの主張は、多くのメディアで取り上げられている。

構成●THE DIGEST編集部

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