――その後、2018年に横浜キヤノンイーグルスに入団されましたが、その経緯は?
当時の牟田至監督が「キヤノンの練習に行きたいやつおるか」と声をかけてくれて、真っ先に手を挙げました。そこで10メートルダッシュや持久走などいろいろな測定をされて、「2番のフロントロー(フッカー)としてならチームに迎えたい」と言っていただきました。僕としてはトップリーグでやれるなら何でも受け入れる覚悟でしたので、キヤノンでの挑戦を決意しました。
――同じFWとはいえ、8番から2番にポジションを変えるのは容易なことではないですよね。フッカーと言えば、日本代表で長く活躍された堀江翔太さん(現埼玉パナソニックワイルドナイツFWコーチ)の印象が強いですが、岡部さんとタイプも違いますね。
チームには日本代表での経験もある庭井祐輔さん(横浜キヤノンイーグルス)が在籍していて、入団当初は庭井さんを超えることができれば試合に出られるし、日本代表にもなれるのではないかと身近に目標となる選手がいることをポジティブに考えていました。
フッカーにはスクラムの時にボールを投げ入れる役割もあって、スクラムの組み方や前進の仕方なども庭井さんに教えていただきました。でも、自分にはボールを投げ入れるセンスがなかった(苦笑)。練習試合でもプレッシャーがかかってしまって他のプレーもうまくいかなくなるなど、最初の2年間はほとんど試合に出られなかったですね。
――3年目からは現在のプロップ(1番)に転向しました。
当時のアリスター・クッツェー・ヘッドコーチから「プロップをやってみないか」と勧められました。試合に出られない状況のなかで何もしなかったら選手生命が終わってしまう、それならチャレンジしようと決断しました。
振り返ると、そこがラグビー人生最大の転機だったと思います。ボールを投げ入れることのプレッシャーから解放されたのはものすごく大きかった。それまではボールを投げることとスクラムの2つの課題に向き合わなければいけなかったのが、スクラムだけに集中できるようになったのも自分にはプラスでしたね。2番をやったことで1番の気持ちも分かりますし、やりやすさはありました。
ただ、それまで経験がないポジションなので、組み立ても技術も皆無に近かった。いろんな先輩を全体練習後に呼び止めて、遅くまで付き合っていただき、サポートしてもらいました。 ――当時の状況もあってコンバートをスムーズに受け入れられたんですね。
ラグビー選手として死ぬか、生きるかという状況でその選択しかなかった。ラグビーはまだ続けたかったですし、それをやるしかないというのが正直な気持ちでした。僕の場合、高校から名門校ではない環境でしたし、大学でも十分な結果を出せなかったこともあって、変なプライドもなかった。雑草魂が武器と言うのかな(笑)。背中を押してくれたヘッドコーチにも感謝を伝えたいですね。
——プロップの選手としては、稲垣啓太選手(埼玉パナソニックワイルドナイツ)、具智元選手(コベルコ神戸スティーラーズ)らが有名ですが、自分なりに学んだことはありましたか?
日本代表選手のプレーは見ていましたが、自分の特性とはスタイルが違うと感じる部分もあったので、参考にできる部分は勉強させてもらいながら、自分のなかで目指す形を作っていくことが重要だと練習するなかで気づきました。
僕の場合は大学までバックローをやっていたので、プロップ一筋でやってきた選手にはない体力やスピード、アジリティを生かして、プロップらしくないプレーができるのが強みです。体重も105キロありますが、かなり動ける自信もあります。この体重でも動けるのは身体能力のベースがあるおかげだと感じています。
(後編に続きます。)
ーーーーー
岡部崇人/おかべたかと
1995年2月19日生まれ、奈良県出身。
上宮高校―関西学院大学―横浜キヤノンイーグルス
高校時代にU-17近畿選抜に選出され、2013年には関西大学ラグビーの強豪・関西学院大学に進学。2018年にはキヤノン入りをつかみ取った。なかなか試合出場の機会に恵まれなかったが、プロップ(1番)への転向をきっかけに飛躍。2024年には同年発足したエディー・ジョーンズ監督体制の日本代表入りを果たし、代表でも存在感を増している。
当時の牟田至監督が「キヤノンの練習に行きたいやつおるか」と声をかけてくれて、真っ先に手を挙げました。そこで10メートルダッシュや持久走などいろいろな測定をされて、「2番のフロントロー(フッカー)としてならチームに迎えたい」と言っていただきました。僕としてはトップリーグでやれるなら何でも受け入れる覚悟でしたので、キヤノンでの挑戦を決意しました。
――同じFWとはいえ、8番から2番にポジションを変えるのは容易なことではないですよね。フッカーと言えば、日本代表で長く活躍された堀江翔太さん(現埼玉パナソニックワイルドナイツFWコーチ)の印象が強いですが、岡部さんとタイプも違いますね。
チームには日本代表での経験もある庭井祐輔さん(横浜キヤノンイーグルス)が在籍していて、入団当初は庭井さんを超えることができれば試合に出られるし、日本代表にもなれるのではないかと身近に目標となる選手がいることをポジティブに考えていました。
フッカーにはスクラムの時にボールを投げ入れる役割もあって、スクラムの組み方や前進の仕方なども庭井さんに教えていただきました。でも、自分にはボールを投げ入れるセンスがなかった(苦笑)。練習試合でもプレッシャーがかかってしまって他のプレーもうまくいかなくなるなど、最初の2年間はほとんど試合に出られなかったですね。
――3年目からは現在のプロップ(1番)に転向しました。
当時のアリスター・クッツェー・ヘッドコーチから「プロップをやってみないか」と勧められました。試合に出られない状況のなかで何もしなかったら選手生命が終わってしまう、それならチャレンジしようと決断しました。
振り返ると、そこがラグビー人生最大の転機だったと思います。ボールを投げ入れることのプレッシャーから解放されたのはものすごく大きかった。それまではボールを投げることとスクラムの2つの課題に向き合わなければいけなかったのが、スクラムだけに集中できるようになったのも自分にはプラスでしたね。2番をやったことで1番の気持ちも分かりますし、やりやすさはありました。
ただ、それまで経験がないポジションなので、組み立ても技術も皆無に近かった。いろんな先輩を全体練習後に呼び止めて、遅くまで付き合っていただき、サポートしてもらいました。 ――当時の状況もあってコンバートをスムーズに受け入れられたんですね。
ラグビー選手として死ぬか、生きるかという状況でその選択しかなかった。ラグビーはまだ続けたかったですし、それをやるしかないというのが正直な気持ちでした。僕の場合、高校から名門校ではない環境でしたし、大学でも十分な結果を出せなかったこともあって、変なプライドもなかった。雑草魂が武器と言うのかな(笑)。背中を押してくれたヘッドコーチにも感謝を伝えたいですね。
——プロップの選手としては、稲垣啓太選手(埼玉パナソニックワイルドナイツ)、具智元選手(コベルコ神戸スティーラーズ)らが有名ですが、自分なりに学んだことはありましたか?
日本代表選手のプレーは見ていましたが、自分の特性とはスタイルが違うと感じる部分もあったので、参考にできる部分は勉強させてもらいながら、自分のなかで目指す形を作っていくことが重要だと練習するなかで気づきました。
僕の場合は大学までバックローをやっていたので、プロップ一筋でやってきた選手にはない体力やスピード、アジリティを生かして、プロップらしくないプレーができるのが強みです。体重も105キロありますが、かなり動ける自信もあります。この体重でも動けるのは身体能力のベースがあるおかげだと感じています。
(後編に続きます。)
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岡部崇人/おかべたかと
1995年2月19日生まれ、奈良県出身。
上宮高校―関西学院大学―横浜キヤノンイーグルス
高校時代にU-17近畿選抜に選出され、2013年には関西大学ラグビーの強豪・関西学院大学に進学。2018年にはキヤノン入りをつかみ取った。なかなか試合出場の機会に恵まれなかったが、プロップ(1番)への転向をきっかけに飛躍。2024年には同年発足したエディー・ジョーンズ監督体制の日本代表入りを果たし、代表でも存在感を増している。




