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「僕は勝てたのに…」悔しさをぶつけた若き日のセナ。84年モナコGPから始まった伝説を巡る【名ドライバー列伝/前編】

甘利隆

2021.05.01

 85年に名門ロータスに移籍すると第2戦ポルトガルGPで初のポールポジション。豪雨に見舞われた決勝ではミケーレ・アルボレート(フェラーリ)に1分以上の大差をつけ、初優勝を飾った。再び雨にたたられた第13戦ベルギーGPで2勝目を挙げた。

 続く86年にはドライコンディションのスペインGP、デトロイトGPでも勝者に。この2年間で15回ポールポジションを獲得し、「一発の速さならセナ」という評価を確たるものとする。

 ブラジルが誇る不世出の英雄は、史上最多(当時)となる通算65回のポールポジションを獲得している。現在はルイス・ハミルトン、ミハエル・シューマッハに次ぐ3番目の記録だが、獲得率は40.1%と、ハミルトンの36.9%、シューマッハの22.1%を上回る。

 ファン・マヌエル・ファンジオの55.8%、ジム・クラークの45.2%、アルベルト・アスカリの42.4%と上には上がいるものの、少なくとも近代F1において、予選の速さでは傑出した存在だったのは間違いない。
 
 今でこそ、優勝回数41回、チャンピオン獲得回数3回と、そこまで目を引かない数字となってしまっているが、セナは記録だけでなく、記憶にも残るドライバーだった。

 現在のF1マシンは以前に比べて大きく重くなり、また洗練された制御により、ドライバーの卓越した技術が伝わりにくくなっている。しかし、ブラウン管越しに見える細かなマシンの挙動からは何かしら強く訴えかけるものがあるように不思議と感じられた。

 しかし、エゴイスティックなまでに勝利を追い求める若き日のセナは、速さだけでは飽き足らなかった。その頃、ウィリアムズとタッグを組んでターボ時代のF1を席巻していたホンダの総監督、桜井淑敏に自らも直接働きかけ、87年にロータスはホンダ・エンジンを獲得する。

 まだ完成度の低かったアクティブ・サスペンションを搭載した99Tを駆り、モナコ、デトロイトの市街地レース2戦を制し、ウィリアムズ勢に次ぐランキング3位。次代のチャンピオン候補筆頭に躍り出た。

 その年のイタリアGPでホンダは、翌88年よりマクラーレンにエンジンを供給すると発表。セナが“ジョイント・ナンバーワン”体制でプロストのチームメイトになることも明らかにされた。ロータスで萌芽しつつあったセナとホンダとの黄金時代は、まさに花開きつつあった。

文●甘利隆
著者プロフィール/東京造形大学デザイン科卒業。都内デザイン事務所、『サイクルサウンズ』編集部、広告代理店等を経てフリーランス。Twitter:ama_super
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