そんなアンディは95年のGPで、大会初参戦のマイク・ベルナルドに逆転KO負け。さらにリベンジマッチでも返り討ちにあってしまう。だが、そのどん底から這い上がるのが彼の魅力だった。
翌年、GP制覇をした際の決勝の相手は、他でもないベルナルド。敗北も、そこからの雪辱も、何から何まで劇的なのが、アンディ・フグという格闘家なのである。
極真時代に自身が破れていたフランシスコ・フィリオがK-1に参戦すると、その初戦の相手をアンディは買って出る。結果は右フックの“一撃”でフィリオの勝利。大方の予想を覆す結果だったが、敗北の衝撃、あるいは切なさ。アンディはそういった要素でも観客の心に深く刻み込まれた。
その突然の死も、小さくない衝撃を世間に与えた。白血病で危篤状態であることが公表されたのが、2000年8月24日のこと。稀代の人気格闘家が世を去ったのは、その日の夜だった。35歳はあまりにも早かった。3日後に開催された『PRIDE.10』では、大会に出場したことのないアンディを追悼するテンカウントゴングが鳴らされた。
試合以外にも数々のテレビ、CM出演。あらゆる面でK-1を象徴するファイターだった。アンディに憧れて格闘技ファンになった、格闘技を始めたという者も少なくない。現在のK-1のエースである武尊もアンディは「K-1という夢を持つキッカケになった人」だという。
アンディ・フグの生涯は短くも濃密だった。その魂は、今もK-1のリングで脈々と受け継がれている。
文●橋本宗洋
翌年、GP制覇をした際の決勝の相手は、他でもないベルナルド。敗北も、そこからの雪辱も、何から何まで劇的なのが、アンディ・フグという格闘家なのである。
極真時代に自身が破れていたフランシスコ・フィリオがK-1に参戦すると、その初戦の相手をアンディは買って出る。結果は右フックの“一撃”でフィリオの勝利。大方の予想を覆す結果だったが、敗北の衝撃、あるいは切なさ。アンディはそういった要素でも観客の心に深く刻み込まれた。
その突然の死も、小さくない衝撃を世間に与えた。白血病で危篤状態であることが公表されたのが、2000年8月24日のこと。稀代の人気格闘家が世を去ったのは、その日の夜だった。35歳はあまりにも早かった。3日後に開催された『PRIDE.10』では、大会に出場したことのないアンディを追悼するテンカウントゴングが鳴らされた。
試合以外にも数々のテレビ、CM出演。あらゆる面でK-1を象徴するファイターだった。アンディに憧れて格闘技ファンになった、格闘技を始めたという者も少なくない。現在のK-1のエースである武尊もアンディは「K-1という夢を持つキッカケになった人」だという。
アンディ・フグの生涯は短くも濃密だった。その魂は、今もK-1のリングで脈々と受け継がれている。
文●橋本宗洋