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格闘技・プロレス

格闘家のイメージを一新した魔裟斗。“革命”を起こしたカリスマの意外な一面「休む勇気がついた――」【K-1名戦士列伝】

橋本宗洋

2022.01.24

 K-1 MAX世界トーナメントで2度の優勝を収めた魔裟斗。彼との激闘によって、クラウスやブアカーオ・ポー.プラムック、アンディ・サワー、小比類巻に佐藤嘉洋ら数多のファイターにスポットライトが当たった。

 ただ、魔裟斗もいきなりスターになったわけではないと強調しておきたい。

 デビューしたのは1997年、全日本キックボクシング連盟のリングだった。この団体のマッチメイカーは、のちにKrush、新生K-1を手がける宮田充氏。全日本キックのタイトル獲得後、すぐに外国人との対戦が続いたのは、宮田氏から新エース候補としての期待があったからだろう。

 だが、魔裟斗は突如として全日本キックを脱退する。自身のイベント『ウルフレボリューション』を立ち上げると、K-1にも参戦。ヒクソン・グレイシーvs船木誠勝が行なわれた東京ドームでの『コロシアム2000』でも勝利を収めた。
 2001年にはK-1ジャパンシリーズの系列大会として、後楽園ホールで開催された『K-1 J・MAX』に出場。ここで魔裟斗は世界トップの強豪ムラッド・サリをKOする大金星を挙げる。その輝きは圧倒的だった。

 当時のK-1には基本的にヘビー級しかなかった。格闘技全体がそうだったと言ってもいい。そういう状況下で、魔裟斗は徐々に知名度を高めていったのだ。短い試合間隔でタイ遠征もした。とにかく彼は自分の強さを証明したかったということだろう。

 こうした歴史があってこその魔裟斗であり、K-1 MAXである。現在は新生K-1の解説者として的確な分析も話題になっているが、それを裏打ちしているのが、ブレイクに至るまでの多様な経験なのだ。

文●橋本宗洋
 

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