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格闘技・プロレス

みちのくから15万円を片手に渡ったメキシコ――プロレス界の巨星に導かれたカズ・ハヤシの数奇な運命【前編】

THE DIGEST編集部

2022.06.29

 ここからはカズ・ハヤシとは断言できない。だが、「新間寿さんから『獅龍でやれ』と手渡されたマスクに『おっ!やった!憧れのマスクマンだ!』と小躍りした」と言われている。

 93年3月になるとみちのくプロレスに身を移し、19歳から20歳の伸び盛りの時期を迎える。「みちのくには外国人が結構来日していたので、獅龍と(愚乱)浪速は毎日教えてもらってましたね」と本場のルチャドール・ケンドーを師事した。

「本場のルチャを教えてもらいましたね。毎日いろいろなことや情報をもらって、まさしく吸収期でした」

 ケンドーの存在とともにみちのくで多くの実戦を積んだ獅龍は、デビュー1年足らずで新日本プロレスのリングへ上がった。「凄いと言われれば凄いんですけど、その時は必死に戦っていただけなんですよ。でも、あの青いリングを見たときはウワーってなりましたよね。控室には有名なレスラーがいっぱいいて、ピリピリしていて怖くて。異次元でした」と憧れのタイガーマスクが戦っていた聖地に畏怖の念を抱いた。

 それでも、「ただみちのくの選手も獅龍もスタイルを崩さずやってましたね。ずっとサーキットで戦っていたスタイルで勝負したかった」と、リングの上では、培ってきた“みちのくプライド”を貫いた。

 ここまで順風満帆だったレスラー人生。ただ初めての大怪我による長期離脱が心身ともに蝕んだ。
 
「みんなはプロレスしているのに、ぼくは家でひとり。落ちましたね」

 大好きなプロレスが出来ない忸怩たる思い。いつしか24歳になった男は、「もうみちのくを辞めます」と衝動的に退団を決めた。

「どうせなら、最後に一番最初に好きになったメキシコに行きたい」。そんな内なる衝動に突き動かされ、自腹を切り、現金15万円と観光ビザを手にカズ・ハヤシはメキシコへ飛んだ。異国の地では次々と出会うひととの繋がりが、その後の運命を大きく左右していった。

 異国での生活を味わっていた約1か月後に転機がやってきた。「突然連絡くれたんですよ。シティのペンションにいるくらいなら、道場付きの寮に入って練習したほうが良くないかって」。連絡の主はみちのく時代に教えを請うたケンドーだった。

 ひとつ返事で引っ越しを決めたその場所は「レイ・ミステリオ・ジュニアやコナンがいた頃のプロモアステカ持ち物でした」と当時AAAとCMLLの対抗勢力として君臨していた団体の寮。しかも「練習していたらケンドーが、額に日の丸が入ったコテコテのマスクを用意してきて、スペイン語で林を意味する『ホスケ』として試合やれって」と電撃的にメキシコでデビューが決まった。

 その後は「朝から晩までプロレス漬け。テレビに出ている割にギャラは少なかったですけど、寮なんで生活も出来ていましたし、とにかく幸せでした」と本場のルチャを堪能。「実は持ってきていた15万円もジムで盗まれてるんで、帰るに帰れなかった」という驚きの難事をも上回る充実した日々を彼は送った。だがレスラーの性なのか、心の奥底にはメジャー団体への気持ちも芽生え始めていた。

取材・文●萩原孝弘

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