■なでしこジャパンとしての活躍について
――なでしこジャパンでのお話も聞かせてください。見事優勝を果たされたW杯ドイツ大会ですが、戦前の予想で日本の優勝を予想した人は少なかったと思います。大会に臨むみなさんの心境はいかがでしたか?
2008年の北京五輪は4位で、悔しい思いをしました。メダルを持ち帰れなかったことは、チーム全員で忘れないようにと、共通認識として持っていました。そこから3年後のドイツ大会では、絶対にメダルを持ち帰ろうとみんなで意気込みました。
ベスト4以上、前回大会以上の成績となるメダル獲得に向け、一丸になりました。そういう良い雰囲気で大会に入れました。そして、戦いが進むにつれ、チームは勝ちながら修正できました。
やはり開幕戦は硬かったのですが、そこから徐々にイングランドやドイツといった強豪との戦いでチームに自信が付きました。(グループリーグでは)イングランドに負けましたが、(準々決勝では)開催国でもある強豪ドイツには勝利しました。この勝利は本当に大きかったです。要所で盛り上がることができました。
――チームの雰囲気は良かったのですね。
明るかったです。でも、練習ではお互いに高いレベルを要求し合いました。私はDFなので、前線の選手に前からのプレッシャーのかけ方を要求しました。逆に前線の選手からはビルドアップの質などを要求されましたね。
お互いの意見のすり合わせを毎回の練習で、しっかり意識しました。宮間あや選手や大野忍選手がベテランと若手の橋渡し役となり、チームを引っ張ってくれました。そういったこともあり、チーム内に迷いはなかったです。
コミュニケーションがしっかり取れるチームでしたね。佐々木則夫監督からは、特に守備に関しての指示が多かったです。攻撃はオープンに選手の自由を尊重してくれました。
――迎えた決勝のアメリカ戦、どういう心境で試合に臨まれましたか? また戦術的なファウルで退場となりましたが、その後ベンチからチームを見守る時の心境はいかがでしたか?
チームの雰囲気は「決勝まで来たんだから、楽しもうよ」という空気でした。でも、楽しめなかったですね(笑)。開始5分、相当押し込まれる展開で、そんな余裕は一切なかったです。
大会を通して、前半を無失点で折り返すことが、チームのテーマでした。そういった意味でも、前半をスコアレスで折り返せたのは良かったと思います。なんとかアメリカの猛攻を凌ぎました。今思うと、当時のメンバーは、ゲームの変化を見逃さない能力は長けていたと思います。
その後、アメリカに先制を許し、(アメリカに)今まで勝利したことがなかったこともあり、嫌な雰囲気になりかけました。
ですが同年、東日本大震災があったことからも、私たちのサッカーで日本を元気にしたいという想いも大会を通してチーム内にありました。諦めてはいけないという気持ちも。延長で失点した時は、もう終わったと思いましたが……。
失点後も踏ん張り、その後、同点としました。本当に劇的だったと思います。退場後は、スタジアムの通路からチームを見守りました。託すしかなかったので。本当に頼もしい仲間に囲まれたと思います。
写真:サッカーダイジェスト
――続く2012年のロンドン五輪のことはいかがでしょうか?
11年のワールドカップで初優勝した翌年のロンドン五輪は、銀メダルを獲得した決勝まで全6試合に出場しました。前年のワールドカップ制覇あって、なでしこジャパンにかかる期待は相当に大きかったと思います。ある意味、チャンピオンとして、五輪に臨むわけですから。
優勝の数ヶ月後に、同大会の予選がスタートしたことも、メンタルの切り替えが難しかったですね。優勝の余韻に浸るという雰囲気ではありませんでした。仮に予選敗退となれば、大きく失望される。
今振り返ると、相当なプレッシャーがありましたね。まずはアジア予選を勝ち抜くことも難しかった記憶しています。無事に予選を通過し、そこでワールドカップ優勝を改めて喜べたという形でした。
その後、決勝まで進めたのは、メンバーひとりひとりの個性をチームの力にまとめられたからだと考えています。プレッシャーを乗り越えての銀メダル獲得でしたね。
――ロンドン五輪では、岩清水選手が日本人選手として唯一、ベストイレブンに選出されましたね。
チームメイトのお陰です。みんながまとまった結果の銀メダル獲得と、私のベストイレブン選出だったと思います。でも、金メダルを獲れなかった悔しさも強いです。試合後、悔しくて泣いていたら澤選手が「胸を張り、笑顔で表彰式に出よう!!」とみんなに呼び掛けてくれました。この言葉には救われました。胸を張って出た表彰式もかけがえのない思い出です。
――2014年のアジアカップでもなでしこジャパンは初優勝を果たしました。岩清水選手は、準決勝、決勝と2試合連続で劇的な決勝ゴールを決められました。優勝に大きくつながった2得点でしたが、振り返っていかがですか?
宮間選手というセットプレーの名手がいましたので、当てるだけでした(笑)。素晴らしいアシストがあってこそのゴールでした。今は、若手に宮間選手と同じようなボールを蹴ってくれと注文しています。それだけ宮間選手のボールは素晴らしかったです。2得点とも、自分の中のベストゴールです。
――なでしこジャパンで仲のいいメンバーはどなたですか?
アンダー世代から一緒の有吉佐織選手は特に仲がいいですね。苦楽をともにしてきました。他にも、同級生の海堀あゆみ選手もそうです。
海堀選手はポジションがGKなので、DFとして連係面でもしっかりとコミュニケーションを取ってきました。時には、激しく議論をしましたね。
――なでしこジャパンでのお話も聞かせてください。見事優勝を果たされたW杯ドイツ大会ですが、戦前の予想で日本の優勝を予想した人は少なかったと思います。大会に臨むみなさんの心境はいかがでしたか?
2008年の北京五輪は4位で、悔しい思いをしました。メダルを持ち帰れなかったことは、チーム全員で忘れないようにと、共通認識として持っていました。そこから3年後のドイツ大会では、絶対にメダルを持ち帰ろうとみんなで意気込みました。
ベスト4以上、前回大会以上の成績となるメダル獲得に向け、一丸になりました。そういう良い雰囲気で大会に入れました。そして、戦いが進むにつれ、チームは勝ちながら修正できました。
やはり開幕戦は硬かったのですが、そこから徐々にイングランドやドイツといった強豪との戦いでチームに自信が付きました。(グループリーグでは)イングランドに負けましたが、(準々決勝では)開催国でもある強豪ドイツには勝利しました。この勝利は本当に大きかったです。要所で盛り上がることができました。
――チームの雰囲気は良かったのですね。
明るかったです。でも、練習ではお互いに高いレベルを要求し合いました。私はDFなので、前線の選手に前からのプレッシャーのかけ方を要求しました。逆に前線の選手からはビルドアップの質などを要求されましたね。
お互いの意見のすり合わせを毎回の練習で、しっかり意識しました。宮間あや選手や大野忍選手がベテランと若手の橋渡し役となり、チームを引っ張ってくれました。そういったこともあり、チーム内に迷いはなかったです。
コミュニケーションがしっかり取れるチームでしたね。佐々木則夫監督からは、特に守備に関しての指示が多かったです。攻撃はオープンに選手の自由を尊重してくれました。
――迎えた決勝のアメリカ戦、どういう心境で試合に臨まれましたか? また戦術的なファウルで退場となりましたが、その後ベンチからチームを見守る時の心境はいかがでしたか?
チームの雰囲気は「決勝まで来たんだから、楽しもうよ」という空気でした。でも、楽しめなかったですね(笑)。開始5分、相当押し込まれる展開で、そんな余裕は一切なかったです。
大会を通して、前半を無失点で折り返すことが、チームのテーマでした。そういった意味でも、前半をスコアレスで折り返せたのは良かったと思います。なんとかアメリカの猛攻を凌ぎました。今思うと、当時のメンバーは、ゲームの変化を見逃さない能力は長けていたと思います。
その後、アメリカに先制を許し、(アメリカに)今まで勝利したことがなかったこともあり、嫌な雰囲気になりかけました。
ですが同年、東日本大震災があったことからも、私たちのサッカーで日本を元気にしたいという想いも大会を通してチーム内にありました。諦めてはいけないという気持ちも。延長で失点した時は、もう終わったと思いましたが……。
失点後も踏ん張り、その後、同点としました。本当に劇的だったと思います。退場後は、スタジアムの通路からチームを見守りました。託すしかなかったので。本当に頼もしい仲間に囲まれたと思います。
写真:サッカーダイジェスト
――続く2012年のロンドン五輪のことはいかがでしょうか?
11年のワールドカップで初優勝した翌年のロンドン五輪は、銀メダルを獲得した決勝まで全6試合に出場しました。前年のワールドカップ制覇あって、なでしこジャパンにかかる期待は相当に大きかったと思います。ある意味、チャンピオンとして、五輪に臨むわけですから。
優勝の数ヶ月後に、同大会の予選がスタートしたことも、メンタルの切り替えが難しかったですね。優勝の余韻に浸るという雰囲気ではありませんでした。仮に予選敗退となれば、大きく失望される。
今振り返ると、相当なプレッシャーがありましたね。まずはアジア予選を勝ち抜くことも難しかった記憶しています。無事に予選を通過し、そこでワールドカップ優勝を改めて喜べたという形でした。
その後、決勝まで進めたのは、メンバーひとりひとりの個性をチームの力にまとめられたからだと考えています。プレッシャーを乗り越えての銀メダル獲得でしたね。
――ロンドン五輪では、岩清水選手が日本人選手として唯一、ベストイレブンに選出されましたね。
チームメイトのお陰です。みんながまとまった結果の銀メダル獲得と、私のベストイレブン選出だったと思います。でも、金メダルを獲れなかった悔しさも強いです。試合後、悔しくて泣いていたら澤選手が「胸を張り、笑顔で表彰式に出よう!!」とみんなに呼び掛けてくれました。この言葉には救われました。胸を張って出た表彰式もかけがえのない思い出です。
――2014年のアジアカップでもなでしこジャパンは初優勝を果たしました。岩清水選手は、準決勝、決勝と2試合連続で劇的な決勝ゴールを決められました。優勝に大きくつながった2得点でしたが、振り返っていかがですか?
宮間選手というセットプレーの名手がいましたので、当てるだけでした(笑)。素晴らしいアシストがあってこそのゴールでした。今は、若手に宮間選手と同じようなボールを蹴ってくれと注文しています。それだけ宮間選手のボールは素晴らしかったです。2得点とも、自分の中のベストゴールです。
――なでしこジャパンで仲のいいメンバーはどなたですか?
アンダー世代から一緒の有吉佐織選手は特に仲がいいですね。苦楽をともにしてきました。他にも、同級生の海堀あゆみ選手もそうです。
海堀選手はポジションがGKなので、DFとして連係面でもしっかりとコミュニケーションを取ってきました。時には、激しく議論をしましたね。