小平と李の出会いはジュニア世代の頃。当時開催されていた日韓合同のジュニア合宿で2人は会った。天才スケーターの名をほしいままにしていた李は15歳だった2004-2005シーズンからW杯に出場し、16歳で06年トリノ五輪に出場。
信州大学2年生だった2006-2007シーズンからW杯に参戦した小平は「年下だけど尊敬する選手」であるとことある毎に言っていた。すっかり仲良くなってからは、小平が日本のお菓子を送り、李が韓国の海苔を送り合うなど、交流が続いた。試合ではレース結果によらず会えば互いに声を掛け、ねぎらった。そして、今ではともに女子500メートルでオリンピックチャンピオンとなっているのだ。
引退会見では韓国メディアから「李相花さんは小平さんにとってどのような人ですか」と質問をされ、丁寧に言葉を選んでこう答えた。
「私にとって李相花選手は数多くのスケート仲間の1人であって、心を通わせられる、とても大切な親友です。時にはライバルと言われたこともありますけど、同じメンタリティーを持っている、似た思考を持っているので、いつ会っても昨日まで一緒にいたように感じられる親友です」
「スケートでうまくいかない時は励ましてくれました。本当の友達は、苦しい時ほど一緒にいてくれることが多いと思う。常に心を寄せてくれてたのがサンファです。今もこれからも友達でいたいと思います」
李は小平のラストレースのセレモニーで日本語によるビデオレターを寄せ、「これからも何も心配いらないから2人で楽しいことをしよう」と言っていた。小平は、「サンファが東京に来る機会も何回かあるみたいですし、私も時間を作って韓国に遊びに行きたいと思っています」と笑顔を見せ、このように結んだ。
「平昌五輪はサンファとの友情を感じられた瞬間でした。順位は関係なく、お互いを認めてお互いを励まし合って、2人であのシーンを共有できた。サンファとスケートをできて良かったと心から感じます」
人を大切にする。とりわけ身近な人を大切にする。スケート、あるいは長野という、自分が育ててもらったと思うものや場所を大切にする。小平がこれほど愛される理由はここにある。
2019年の台風19号で被害を受けたリンゴ農家でボランティア活動に参加してから生まれた交流も今でも続いている。20年秋には全日本距離別選手権でリンゴのマークが入った赤いレーススーツを着用して出場した。11月23日には、生まれ故郷の長野県茅野市にある、自身の名のついた「ナオ・アイスオーバル」のリンク開きのイベントで地元の小中学生200人と交流する。
「正直、これまでは4年に1度のオリンピックでしか心を通い合わせられるチャンスはないのか、感じ取ることはできないのかと思っていましたが、違いました。皆さんの心に残るシーンとして、あの日(10月22日)が皆さんの心を励ます1つになればいいなと願っています」
小平からの最大のプレゼントだった。
取材・文●矢内由美子
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信州大学2年生だった2006-2007シーズンからW杯に参戦した小平は「年下だけど尊敬する選手」であるとことある毎に言っていた。すっかり仲良くなってからは、小平が日本のお菓子を送り、李が韓国の海苔を送り合うなど、交流が続いた。試合ではレース結果によらず会えば互いに声を掛け、ねぎらった。そして、今ではともに女子500メートルでオリンピックチャンピオンとなっているのだ。
引退会見では韓国メディアから「李相花さんは小平さんにとってどのような人ですか」と質問をされ、丁寧に言葉を選んでこう答えた。
「私にとって李相花選手は数多くのスケート仲間の1人であって、心を通わせられる、とても大切な親友です。時にはライバルと言われたこともありますけど、同じメンタリティーを持っている、似た思考を持っているので、いつ会っても昨日まで一緒にいたように感じられる親友です」
「スケートでうまくいかない時は励ましてくれました。本当の友達は、苦しい時ほど一緒にいてくれることが多いと思う。常に心を寄せてくれてたのがサンファです。今もこれからも友達でいたいと思います」
李は小平のラストレースのセレモニーで日本語によるビデオレターを寄せ、「これからも何も心配いらないから2人で楽しいことをしよう」と言っていた。小平は、「サンファが東京に来る機会も何回かあるみたいですし、私も時間を作って韓国に遊びに行きたいと思っています」と笑顔を見せ、このように結んだ。
「平昌五輪はサンファとの友情を感じられた瞬間でした。順位は関係なく、お互いを認めてお互いを励まし合って、2人であのシーンを共有できた。サンファとスケートをできて良かったと心から感じます」
人を大切にする。とりわけ身近な人を大切にする。スケート、あるいは長野という、自分が育ててもらったと思うものや場所を大切にする。小平がこれほど愛される理由はここにある。
2019年の台風19号で被害を受けたリンゴ農家でボランティア活動に参加してから生まれた交流も今でも続いている。20年秋には全日本距離別選手権でリンゴのマークが入った赤いレーススーツを着用して出場した。11月23日には、生まれ故郷の長野県茅野市にある、自身の名のついた「ナオ・アイスオーバル」のリンク開きのイベントで地元の小中学生200人と交流する。
「正直、これまでは4年に1度のオリンピックでしか心を通い合わせられるチャンスはないのか、感じ取ることはできないのかと思っていましたが、違いました。皆さんの心に残るシーンとして、あの日(10月22日)が皆さんの心を励ます1つになればいいなと願っています」
小平からの最大のプレゼントだった。
取材・文●矢内由美子
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