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食と体調管理

「自分が信じて本気で目指したらきっと叶うはず」トライアスロン日本代表・ニナー賢治がパリ五輪へかける覚悟とそれを支える食生活

元川悦子

2023.05.01

写真提供:日本トライアスロン連合

写真提供:日本トライアスロン連合

■日本代表として

――2018年に来日されました。きっかけは?

 オーストラリアにいた頃もコーチのもとで練習していたんですが、まずは素質があるかどうかがベースで、パワーやスピードを徹底的に強化するようなスタイルでした。僕もそれをやってきて、U-23世代まではオーストラリア代表まで行ったんですけど、その後、伸び悩み、エリートとしては難しい状況にもなりつつありました。

 僕にはずっと五輪に出たいという夢がありましたから、母親の国である日本に行くことを考え始め、実際に赴く決断をした。それによって練習スタイルは様変わりしました。

――現在指導を受けている村上コーチとはずっと一緒に?

 2018年の来日当時はパトリック・ケリーというヘッドコーチがいて、彼がノルウェー方式を採用しました。村上さんはアシスタントコーチでしたが、そのときから一緒です。

――来日後の変化について、もう少し詳しくお話しいただけますか?

 日本に来て、トレーニングはもちろんのこと、メンタル面が大きく変わりました。「自分は何者なのか」を自問自答しましたし、自分なりに理解しようと努力したんです。

 僕は生まれてから20代になるまで西洋的な考え方の中で生きてきましたけど、日本の文化や習慣に触れて、思うところが沢山ありました。内村鑑三さんの「代表的日本人」を読んだりして、日本人がどんな民族なのか、どういう考え方をするのかをより深く理解し、自分自身が確立されていった。すごく哲学的な話ですけど、そこがすごく変わったところです。

――2018年から東京五輪まで3年ありましたが、ご自身はどう成長されましたか?

 オーストラリア時代から五輪選手になりたいという夢は持っていました。でもそれはあくまで夢で、現実ではなかった。でも日本に来てからは「これは夢ではなくて現実の目標だ」と思えるようになったんです。

 日本のライバルの実力を見て「自分は五輪代表に極めて近いところにいる」と思えたし、集中して練習できる環境やコーチもいたので、全てが整っていました。そういう中で、具体的な目標として東京五輪を捉えられるようになった。それが大きかったと思います。

――日本国籍取得にも踏み切られました。

 はい。それは僕にとってすごく大きなことであり、強い気持ちが生まれる原動力になりました。「自分の国で開催される五輪に出る」というのは極めて意義の深いこと。それを絶対に成し遂げるんだという強い意欲も湧いてきました。
 

――その東京五輪は新型コロナウイルス感染拡大によって1年遅れて開催されました。その1年間があって、ニナーさんの出場がかなったんですよね。

 そうですね。ただ、コロナの間、世界は見通しの利かない不明瞭な状態に陥り、行きたい国に行けない状況になりました。生活面でも多くの制限や不便を強いられた。自分たちも困難の伴う中でトレーニングをすることになりました。

 それでも僕自身は大会が1年遅れたことでワールドクラスまで強くなれた。日本国籍も取得できました。それに関しては、非常にラッキーに働いたなというふうに思っています。

――五輪出場を決めたのは、2021年5月に宮崎で行われたJTU男子スーパースプリント特別大会)のレースでした。

 この大会は普通のレースではなくて、五輪基準をクリアした10人程度しか出ない最終選考だったんです。距離は各種目とも通常より短くて、300mのスイム・7.2㎞のバイク・2kmのランというコース。1本目は個人タイムトライアルで、2本目が全員で一斉に出て順位を競う形式でした。

 両方が1位だったら文句なしで出場権を得られるんですけど、1本目が1位・1本目が2位、あるいは1・4位とか順位が離れると、誰を出すべきかと議論が分かれてしまいます。一番いいのは個人タイムトライアルでベストを出して集団で勝ち切ること。そう考えてレースを進め、1本目をトップで終え、2本目の集団レースに突入。安定してスイム・バイクと進んだ時にアクシデントが起きたんです。

――どんなアクシデントだったんですか?

 足がつってしまって、出足が遅れたんです。僕のレースを見守っていた村上コーチは「賢治がいない」と顔面蒼白になったと言いますが、直線の折り返しのあたりで50mくらいはトップから遅れていました。
 
 2kmのレースで50mの遅れというのは、トップ選手の集まる中では致命的。10秒くらいの差が開いていましたからね。でも僕は決して諦めませんでした。

「体動け、動け」と言い聞かせ、「絶対に勝つんだ」という強い気持ちを持ち続けたら、だんだん体が反応してくれた。そこから神がかり的なランニングを見せることができ、最後に抜き切ってトップでフィニッシュできた。

 僕は通常、1km・2分55秒くらいのペースで走りますけど、あの時は最後の方は2分35~40秒くらいで走っていたんじゃないかな。それは自分の競技生活の中で過去にないことでした。体と心が完全に一致して力を出せた。そういう意味で大好きなレースだし、印象的なレースでしたね。

――ミラクルレースで勝って、迎えた本番。無観客開催となった東京五輪の中でトライアスロンだけは沿道に多くの人が集まり、五輪らしい雰囲気の中で行われました。

 本当にそうですね。他競技はほぼ無観客という状況の中で、警察が寛容だったのかどうか分からないですけど、自分たちは多くの人が見守る中で戦わせていただけた。それは競技者として本当に幸せなことでした。

 特に混合リレーで自分がレースをしてる間、多くの応援や後押していただき、幸せなレースを経験ができました。

 やっぱりこの競技をもっと多くの人に見てほしい。それだけの魅力のあるスポーツだと僕は強く思っています。
 

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