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【名馬列伝】西山牧場の“孝行娘”ニシノフラワー。「馬も怯んだ」と言わしめた鬼脚が炸裂した渾身レースとは?

三好達彦

2023.06.30

 育成時代のニシノフラワーは馬体が小柄なうえに貧弱で、脚ばかり長いということで、評判になることもないまま、栗東トレーニングセンターの調教師・松田正弘に預託することになった。

 しかし、ニシノフラワーはトレセンに入厩してから見違えるような成長を見せる。馬体こそスリムではあったが、調教での動きに見るべきものが備わってきたのである。

 手綱は松田厩舎の所属騎手である佐藤正雄に委ねられ、デビューの新馬戦(札幌・ダート1000m)を4馬身差で逃げ切ると、次走の札幌3歳ステークス(GⅢ、札幌・芝1200m)は3番手から抜け出して2着に3馬身半差を付けて連勝。傑出したスピード能力を垣間見せた。

 いったん休養に入ったニシノフラワーは、代打騎乗で田原成貴が手綱をとったデイリー杯3歳ステークス(GⅡ、京都・芝1400m)をまたも3馬身半差で圧勝すると、ふたたび佐藤に手綱が戻った阪神3歳牝馬ステークス(GⅠ、阪神・芝1600m)でサンエイサンキュー、シンコウラブリイなどを降して優勝。同年のJRA賞で最優秀3歳牝馬のタイトルを手にするまでになった。
 
 翌年の初戦はチューリップ賞(当時OP)となった。ここで、単勝オッズ1.2倍という圧倒的な人気を背負ったニシノフラワーだったが、スタート直後に他馬に寄られ、直線でも行き場を失う不利が重なり、まさかの2着に敗れてしまう。

 手綱をとった佐藤は大きな責任を感じていた。名牝になる素質を持った馬に、ほとんど実績のない自分が乗り続けていいのか……。佐藤は悩んだ末に自ら師匠の松田に交代を申し出て、その代わりに関西きっての名手である河内洋を推薦した。松田はその申し出を受け、オーナーにも承諾を得たうえで、ニシノフラワーは河内との新コンビで桜花賞(GⅠ、阪神・芝1600m)へ向かうことになった。
 
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