フジキセキのデビューは1994年8月20日の新潟・芝の1200m。鞍上は蛯名正義(現調教師)だった。当時は、初出走した開催内であれば最大4度まで新馬戦に出走できるというレギュレーションがあり、それは「折り返しの新馬戦」と呼ばれた。このレースの1番人気は「折り返し」での出走となった牝馬のシェルクイーンで、これが初戦となるフジキセキは2番人気に甘んじた。
スタートで大きく出遅れたフジキセキはリカバリーして3番手まで位置を押し上げる。そして直線へ向くと、あっさり先行勢を抜き去って独走態勢を作り上げ、ゴールではシェルクイーンに8馬身差、タイムにして1秒3もの差をつけて圧勝する衝撃的なデビューを飾った。
フジキセキはデビュー戦のあと休養に入り、充分に休養をとり成長を促されてからトレセンに帰厩。前走比+14キロで、10月のもみじステークス(OP、阪神・芝1600m)において鞍上に所属の渡辺栄厩舎(栗東)の主戦に乗り替わって戦線に復帰すると、単勝オッズ1.2倍の1番人気に推されてゲートインした。
スムーズにゲートを出たフジキセキは中団を進み、第3コーナーからポジションを上げながら2番手で直線へ向くと、まったくの馬なりで先頭に立ってレコードタイムで圧勝。しかも1馬身1/4差で2着に負かした馬は、翌年の日本ダービー馬となるタヤスツヨシだった。
続く旧3歳チャンピオン決定戦・朝日杯3歳ステークス(GⅠ、中山・芝1600m/現・朝日杯フューチュリティステークス)でも、単勝オッズ1,5倍の抜きんでた1番人気に推されたフジキセキは、先団から進んで直線では早めに先頭へ。最後は後方から追い込んだスキーキャプテンに迫られるなか、クビ差で勝利。差こそ小さかったが、フジキセキはノーステッキでの勝利であり、いわゆる「着差以上の強さ」で評判馬を退けたことは明らかだった。
このレースを受けて、「サンデーサイレンス産駒の一番馬」「(来年の)クラシックの主役」との評価が決定的になった。レース後、角田は「(他の馬とは)エンジンが違っている感じ。(2着のスキーキャプテンが)来たら、また伸びました。楽勝でした」と笑みを浮かべながらコメントした。
スタートで大きく出遅れたフジキセキはリカバリーして3番手まで位置を押し上げる。そして直線へ向くと、あっさり先行勢を抜き去って独走態勢を作り上げ、ゴールではシェルクイーンに8馬身差、タイムにして1秒3もの差をつけて圧勝する衝撃的なデビューを飾った。
フジキセキはデビュー戦のあと休養に入り、充分に休養をとり成長を促されてからトレセンに帰厩。前走比+14キロで、10月のもみじステークス(OP、阪神・芝1600m)において鞍上に所属の渡辺栄厩舎(栗東)の主戦に乗り替わって戦線に復帰すると、単勝オッズ1.2倍の1番人気に推されてゲートインした。
スムーズにゲートを出たフジキセキは中団を進み、第3コーナーからポジションを上げながら2番手で直線へ向くと、まったくの馬なりで先頭に立ってレコードタイムで圧勝。しかも1馬身1/4差で2着に負かした馬は、翌年の日本ダービー馬となるタヤスツヨシだった。
続く旧3歳チャンピオン決定戦・朝日杯3歳ステークス(GⅠ、中山・芝1600m/現・朝日杯フューチュリティステークス)でも、単勝オッズ1,5倍の抜きんでた1番人気に推されたフジキセキは、先団から進んで直線では早めに先頭へ。最後は後方から追い込んだスキーキャプテンに迫られるなか、クビ差で勝利。差こそ小さかったが、フジキセキはノーステッキでの勝利であり、いわゆる「着差以上の強さ」で評判馬を退けたことは明らかだった。
このレースを受けて、「サンデーサイレンス産駒の一番馬」「(来年の)クラシックの主役」との評価が決定的になった。レース後、角田は「(他の馬とは)エンジンが違っている感じ。(2着のスキーキャプテンが)来たら、また伸びました。楽勝でした」と笑みを浮かべながらコメントした。