──神奈川大では4年連続で箱根駅伝に出場されました。初めての箱根駅伝ではいかがでしたか?
1年時は地元を離れて、寮生活に慣れるのに苦労しました。箱根駅伝は6区に出場したんですけど、結果(区間19位)が良くなくて、沿道から厳しい声をいただきました。半端な気持ちで出る大会ではないなと思ったのが強く印象に残っています。
──3年時はチームの主将にもなりました。10000mでは当時の神奈川大記録(28分30秒16)を残して、箱根駅伝は花の2区で区間賞を獲得しました。なにか成長のきっかけがあったのでしょうか?
特別に何か変えたということはありません。自分のなかで環境にも慣れて、トレーニングもしっかりと積み上げることができたのが結果を残せた要因かなと思います。
箱根駅伝の2区は、強い4年生もいましたし、チャレンジしようという気持ちでした。権太坂の上りでトップに立ちましたが、終盤はいつくるのかという怖さがありましたね。2区は神奈川大にとって地元なので応援が多く、気持ちよく走ることができました。
──大学4年時には2月の東京で初マラソンに挑戦しました。学生歴代7位(当時)の2時間10分21秒をマークしましたが、これまでのレースと違いはありましたか?
30㎞手前くらいまでは『優勝できるかな』と思うくらい余裕があったんですけど、35㎞くらいから脚がバタッと止まって、これがマラソンかと感じました。その後はジョギングのようなペースになったんです。ハーフマラソンや箱根駅伝とは別物だなと思いました。
学生時代は故障とあまり縁がありませんでした。4年生の箱根駅伝が終わって、東京マラソンに挑戦した後に故障をしたんです。マラソンはカラダができてないと、レースが終わった後にガタが来るのを実感しましたね。それまで故障がなかったので、走る以外のアプローチ(ケアなど)をさほどしていませんでした。そこからは、いろいろと考えるようになりました。
──故障をされたときは、メンタル的にも落ち込んだと思います。
社会人は大学と異なり、お給料をいただきながら競技をします。結果を出さないと、実業団選手を続けることができません。社業に専念することになるので、故障をすると焦りがありました。