―順天堂大学1年だった2015年に世界選手権に初出場して団体金メダルとあん馬の銅メダルを獲得。しかし2016年のリオデジャネイロオリンピック出場は叶わず、サポートメンバーとして現地に帯同しました。この経験をどのように受け止めたのでしょうか。
今となってはあの経験がバネになったと思いますが、当時は自分の中でとても大きなものを落としてしまったという悔しさに駆られていました。そのときに思ったのが、アスリートに惜しいという言葉はないということ。オリンピックに行けたか行けなかったか、それしかない。それからは結果や自分の実力をより細かく見るようになりましたね。
―リオの後はどのように体操に取り組みましたか。
リオでは日本が金メダルを取る姿を会場の観客席で見ていて正直、悔しかったのです。帰国するときに大竹先生から「胸を張って帰ってきなさい。日本に必要とされる選手になりなさい」と言われたことを覚えています。
思い返してみると2015年の世界選手権はどこか勢いで行ったような気もしたので、リオの後はしっかりとプロセスを立てて、オリンピックに行くためにはどうしたらいいのかを具体的に考えるようになりました。
―そして2021年、東京オリンピックの代表入りを果たし、本番ではROCとの接戦の末に団体銀メダルを獲得。個人でもあん馬で銅メダルを獲得しました。
リオからの5年間はしっかりと目標のために計画を立てて練習に取り組み、オリンピックに臨みました。結果は1位のROCに0.103点差で銀メダルでしたからもちろん悔しかったですが、パリがあるという前向きな気持ちがすぐにわいてきました。それはリオの経験があって自分が強くなったからだと感じましたし、だからこそパリでの結果につながったのだと思います。
今となってはあの経験がバネになったと思いますが、当時は自分の中でとても大きなものを落としてしまったという悔しさに駆られていました。そのときに思ったのが、アスリートに惜しいという言葉はないということ。オリンピックに行けたか行けなかったか、それしかない。それからは結果や自分の実力をより細かく見るようになりましたね。
―リオの後はどのように体操に取り組みましたか。
リオでは日本が金メダルを取る姿を会場の観客席で見ていて正直、悔しかったのです。帰国するときに大竹先生から「胸を張って帰ってきなさい。日本に必要とされる選手になりなさい」と言われたことを覚えています。
思い返してみると2015年の世界選手権はどこか勢いで行ったような気もしたので、リオの後はしっかりとプロセスを立てて、オリンピックに行くためにはどうしたらいいのかを具体的に考えるようになりました。
―そして2021年、東京オリンピックの代表入りを果たし、本番ではROCとの接戦の末に団体銀メダルを獲得。個人でもあん馬で銅メダルを獲得しました。
リオからの5年間はしっかりと目標のために計画を立てて練習に取り組み、オリンピックに臨みました。結果は1位のROCに0.103点差で銀メダルでしたからもちろん悔しかったですが、パリがあるという前向きな気持ちがすぐにわいてきました。それはリオの経験があって自分が強くなったからだと感じましたし、だからこそパリでの結果につながったのだと思います。