ここで武豊は運命の決断をする。武の”お手馬”が出走可能枠のなかに3頭ほどいたが、それにも関わらず出走できない可能性が高いスーパークリークに「ダメなら参戦できなくても仕方ない」と一本に絞ることを明らかにしたのだ。
すると運は、スーパークリークと武に向いてくる。クラブ法人のサラブレッドクラブ・ラフィアンの代表だった岡田繁幸が所属馬のマイネルフリッセを”引く”(出走回避させる)ことにし、さらに他の1頭が回避することになり、抽選を経ることもなしに目標の菊花賞への出走が決まったのだ。
こうした事情もマスコミを通じてファンに知られるところとなり、「武豊が選んだ馬」としてスーパークリークは皐月賞(GⅠ)で1、2着したヤエノムテキ、ディクターランドに続く3番人気に推されてゲートイン。ここでこのコンビは恐るべきレースを見せる。
中団でレースを進めたスーパークリークは2週目の第3コーナー付近から徐々に位置を押し上げながら直線へ向くと、一気にスパート。するとあっという間に先頭へ躍り出て、あとは後続を突き放す一方。ゴールでは因縁のガクエンツービートを5馬身も突き放す圧勝を遂げたのである。
武豊にとって初のGⅠタイトルとなったこのレースは、史上最年少でのクラシック競走勝利記録(19歳7か月23日)ともなった。そしてGⅠレースで武がどの馬を選ぶかという動向が大きな注目を集めるようになったのは、この菊花賞が契機となったと筆者は記憶している。
続く有馬記念(GⅠ)は勝ったオグリキャップから1馬身ほどの3位入線しながら、直線で斜行して他馬の進路を妨害したとして失格の処分を受けてしまう。それでもこの一戦は、古馬の一線級に入っても能力が通用することを証明するには十分だった。
1989年、4歳になったスーパークリークは、なかなか筋肉疲労が取れなかったこともあり、春シーズンをまるまる休養に充て、戦列に復帰したのは10月の京都大賞典(GⅡ)だった。ここをコースレコードで制した彼は、いよいよ宿敵との対戦を迎える。自身が失格の処分を受けた前年の有馬記念でタマモクロスを倒し、アイドルホースとして爆発的な人気を集めていたオグリキャップがその相手である。
スーパークリークと同じように春シーズンを全休していたオグリキャップだったが、秋に復帰するとオールカマー(GⅢ)を圧勝すると、毎日王冠(GⅡ)では”第3の男”とも言うべきイナリワンとの火の出るような叩き合いを制して重賞を2連勝。お互いに絶好調で迎えたのが頂上決戦、GⅠ天皇賞(秋)だった。
オグリキャップか、スーパークリークか。はたまたイナリワンか。15万人近い観客をのみ込んだ東京競馬場は熱狂の坩堝と化していた。
すると運は、スーパークリークと武に向いてくる。クラブ法人のサラブレッドクラブ・ラフィアンの代表だった岡田繁幸が所属馬のマイネルフリッセを”引く”(出走回避させる)ことにし、さらに他の1頭が回避することになり、抽選を経ることもなしに目標の菊花賞への出走が決まったのだ。
こうした事情もマスコミを通じてファンに知られるところとなり、「武豊が選んだ馬」としてスーパークリークは皐月賞(GⅠ)で1、2着したヤエノムテキ、ディクターランドに続く3番人気に推されてゲートイン。ここでこのコンビは恐るべきレースを見せる。
中団でレースを進めたスーパークリークは2週目の第3コーナー付近から徐々に位置を押し上げながら直線へ向くと、一気にスパート。するとあっという間に先頭へ躍り出て、あとは後続を突き放す一方。ゴールでは因縁のガクエンツービートを5馬身も突き放す圧勝を遂げたのである。
武豊にとって初のGⅠタイトルとなったこのレースは、史上最年少でのクラシック競走勝利記録(19歳7か月23日)ともなった。そしてGⅠレースで武がどの馬を選ぶかという動向が大きな注目を集めるようになったのは、この菊花賞が契機となったと筆者は記憶している。
続く有馬記念(GⅠ)は勝ったオグリキャップから1馬身ほどの3位入線しながら、直線で斜行して他馬の進路を妨害したとして失格の処分を受けてしまう。それでもこの一戦は、古馬の一線級に入っても能力が通用することを証明するには十分だった。
1989年、4歳になったスーパークリークは、なかなか筋肉疲労が取れなかったこともあり、春シーズンをまるまる休養に充て、戦列に復帰したのは10月の京都大賞典(GⅡ)だった。ここをコースレコードで制した彼は、いよいよ宿敵との対戦を迎える。自身が失格の処分を受けた前年の有馬記念でタマモクロスを倒し、アイドルホースとして爆発的な人気を集めていたオグリキャップがその相手である。
スーパークリークと同じように春シーズンを全休していたオグリキャップだったが、秋に復帰するとオールカマー(GⅢ)を圧勝すると、毎日王冠(GⅡ)では”第3の男”とも言うべきイナリワンとの火の出るような叩き合いを制して重賞を2連勝。お互いに絶好調で迎えたのが頂上決戦、GⅠ天皇賞(秋)だった。
オグリキャップか、スーパークリークか。はたまたイナリワンか。15万人近い観客をのみ込んだ東京競馬場は熱狂の坩堝と化していた。
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