──残念ながら新型コロナウイルスの影響もあって、あのムーブメントをトップリーグ、さらにはその後に創設されたリーグワンへと繋げていくことが難しかったですね。
リーグ戦が短縮開催となるなど、W杯で盛り上がったラグビー人気を継続することができませんでした。僕たちはラグビーしかできないので、それを見てもらう機会を奪われ、ずっともやもやした気持ちを抱えていましたね。
──そんな状況の中でも、いわば“ラグビー人生の集大成”と位置付けて23年のW杯を目指されました。しかし大方の予想に反して、W杯のエントリーメンバーから落選。どんな気持ちでその事実を受け止めましたか?
すぐには受け止めきれませんでしたね。前年のテストマッチもほぼすべて出場していましたし、どこかで「選ばれるだろう」という気持ちがありましたから。フルバックだけでなく、スタンドオフもできる選手を連れて行きたかったというのが落選理由とも伝え聞きましたが、それでも自分がチーム内で絶対的な地位を築いていれば、スタンドオフができようができまいが、メンバーに選ばれたはずなんです。
結局、プレーヤーとしてそこまでの信頼を得られていなかったということだし、もっとアピールすべきだったと、しばらく時間が経ってから思うようになりましたね。
──ところがその後、大会中にセミシ・マシレワ選手が怪我をして、バーバリアンズ(世界の一流選手で編成される、いわば世界選抜チーム)で活動中だった山中さんが急きょ追加招集されました。その時の心境は?
実はイングランド戦(プール第2戦)が始まる前に、胸騒ぎはあったんです。「ここらへんでまた呼ばれたりしそうだな」って。過去にも追加招集の経験は何度かありましたし、そういった予感みたいなものがホンマに僕の中にあって、実際にそうなった。だから、びっくりしながらも、切り替えはスムーズにできましたね。バーバリアンズに行ってからも、いつ呼ばれてもいいように準備はしていましたから。
──俺がやってやろうという気持ちに?
イングランドに敗れた後でしたから、まずはチームの空気を変えられればと思いました。年齢的にも僕は上のほうだったので、プレーだけでなく、ピッチの外でもチームに良い影響を与えられる存在になりたかった。
──プール戦は2勝2敗で決勝トーナメントには進めませんでした。19年のチームとの比較で、何か違いは感じましたか?
19年の時のほうが、「ワンチーム」をスローガンに掲げていただけあって、一体感は強かったのかもしれません。23年のチームにももちろん一体感はありましたが、少し違うというか……。口では言い表しにくいんですけど、19年のほうがはっきりとした方向性が見えていたような気がしますね。
──山中さんはプールステージ最終戦のアルゼンチン戦に途中出場されました。ご自身にとって、あの大会の持つ意味は?
正直、W杯感はなかったですね。途中から参加したこともあって、緊張もまったくなく、とりあえず楽しんでプレーしようと、そんな感覚でした。ただ、リザーブにも一度も入れずに大会を終えた選手もいますし、そういった選手のためにも良いパフォーマンスを見せなくてはならなと思って戦いました。
やっぱり、あの舞台に立つ、立たないというのは大きな違いなんです。出たくても出られなかった選手が何人かいるなかで、途中参加にもかかわらずピッチに立てたというのは、ものすごく光栄なことでしたね。
リーグ戦が短縮開催となるなど、W杯で盛り上がったラグビー人気を継続することができませんでした。僕たちはラグビーしかできないので、それを見てもらう機会を奪われ、ずっともやもやした気持ちを抱えていましたね。
──そんな状況の中でも、いわば“ラグビー人生の集大成”と位置付けて23年のW杯を目指されました。しかし大方の予想に反して、W杯のエントリーメンバーから落選。どんな気持ちでその事実を受け止めましたか?
すぐには受け止めきれませんでしたね。前年のテストマッチもほぼすべて出場していましたし、どこかで「選ばれるだろう」という気持ちがありましたから。フルバックだけでなく、スタンドオフもできる選手を連れて行きたかったというのが落選理由とも伝え聞きましたが、それでも自分がチーム内で絶対的な地位を築いていれば、スタンドオフができようができまいが、メンバーに選ばれたはずなんです。
結局、プレーヤーとしてそこまでの信頼を得られていなかったということだし、もっとアピールすべきだったと、しばらく時間が経ってから思うようになりましたね。
──ところがその後、大会中にセミシ・マシレワ選手が怪我をして、バーバリアンズ(世界の一流選手で編成される、いわば世界選抜チーム)で活動中だった山中さんが急きょ追加招集されました。その時の心境は?
実はイングランド戦(プール第2戦)が始まる前に、胸騒ぎはあったんです。「ここらへんでまた呼ばれたりしそうだな」って。過去にも追加招集の経験は何度かありましたし、そういった予感みたいなものがホンマに僕の中にあって、実際にそうなった。だから、びっくりしながらも、切り替えはスムーズにできましたね。バーバリアンズに行ってからも、いつ呼ばれてもいいように準備はしていましたから。
──俺がやってやろうという気持ちに?
イングランドに敗れた後でしたから、まずはチームの空気を変えられればと思いました。年齢的にも僕は上のほうだったので、プレーだけでなく、ピッチの外でもチームに良い影響を与えられる存在になりたかった。
──プール戦は2勝2敗で決勝トーナメントには進めませんでした。19年のチームとの比較で、何か違いは感じましたか?
19年の時のほうが、「ワンチーム」をスローガンに掲げていただけあって、一体感は強かったのかもしれません。23年のチームにももちろん一体感はありましたが、少し違うというか……。口では言い表しにくいんですけど、19年のほうがはっきりとした方向性が見えていたような気がしますね。
──山中さんはプールステージ最終戦のアルゼンチン戦に途中出場されました。ご自身にとって、あの大会の持つ意味は?
正直、W杯感はなかったですね。途中から参加したこともあって、緊張もまったくなく、とりあえず楽しんでプレーしようと、そんな感覚でした。ただ、リザーブにも一度も入れずに大会を終えた選手もいますし、そういった選手のためにも良いパフォーマンスを見せなくてはならなと思って戦いました。
やっぱり、あの舞台に立つ、立たないというのは大きな違いなんです。出たくても出られなかった選手が何人かいるなかで、途中参加にもかかわらずピッチに立てたというのは、ものすごく光栄なことでしたね。