――今も現役生活を続けられるなかで、食事で工夫されていることはありますか?
今はどちらかというと体重が増えるようになってきたので、量をしっかり食べることよりも、決まった時間に食べなきゃいけないものを食べるという感覚に変わってきましたね。
きちんとお腹がすいてから食べるようになったというか。これまでは必要に迫られて食事をとってた部分もあったんですけど、NPBという第一線から退いてそれがなくなったことで、純粋にお腹空いたな、きちんと何か食べたいなと思って食べる生活になりました。
――内川さんはWBCに3度出場されましたが、海外で食事や栄養管理はどのように気を付けておられたのでしょうか?
僕は外食が好きなので、若い時は外へ行ってご飯を食べることも多かったですが、年齢が上がってくると、疲れを残さないことを一番に意識するようになりましたね。
チームが用意してくれる食事がきちんとあるので、その中で自分のその時の体調と相談しながら、もうちょっと体重を増やしたいな、あるいは減らしたいな、その時の状況に合わせて食べるものを意識して変えていました。
あと日本みたいにすぐに欲しいものが買える状況ではないですし、まずはチームが用意してくれた食事で自分自身の体調や体重の管理、調整することが重要になっていきました。
―ー食材としてきのこは好きですか?
そうですね、地元・大分県の名産品でもあるしいたけとか好きですね。味の濃い料理が好きで、すき焼きにはえのきを入れたりもしています。きのこはメインで食材というよりも副菜として何かと一緒に食べる場合が多いですね。
――きのこの印象について教えてください。
子供の頃は意識したことはなかったのですが、大人になって食物繊維の豊富さであったり、腸内環境を整えるとか、今の僕らにとって必要なものだなと思いました。
食物繊維を取ることで水分が膨らんで、それが満腹感にもつながっていくというのを聞いたこともあるので、体重をコントロールするにあたっては大事な要素ですね。
――腸内環境が選手としてのコンディションに影響したことはありましたか?
2009年の夏場過ぎに、ウィルス性の胃腸炎にかかって、1週間くらい入院したんですよ、もう下痢と吐き気が止まらなくなってしまって…。こんなにきついんだというのを味わってから、腸の状態を考えるようになりました。
■大分での挑戦について
――昨年10月にNPBからの引退を発表されました。まだ現役は続くわけですが、ひとまずNPBでの人生を振り返っていかがですか?
いろんなタイトルや記録を残したと言われますが、終わってみると他人がやったことみたいな感覚ですね。当時はとにかく必死でした。
いま自宅にあるペナントやトロフィーを見て、改めて見ても頑張ったな、すごいよくやったなと思いますが、僕自身が何か評価するというよりは、他の人にすごかったなと思ってくれればそれで良いと思っています。
――ジュニアアスリートへのアドバイス
夢に向かって1日1日を無駄にしないことが大事だと言われますが、正直それだけ言われてもどうすれば良いのかわからなくて難しい。小学生がすぐにプロになれるわけではないし、逆にプロになれる年齢になってから頑張り始めても遅いこともあると思います。曖昧なイメージだけで、何となく叶ってしまうものは夢とは言えないのかなと。
まずは今の自分ができる目標はなんなのかを考えて、それに向かって行動していくことが1日1日を無駄にしないということになってくると思います。
僕の場合はプロ野球選手になるための道筋を自分で考えていました。ドラフトにかかりたい、じゃあスカウトに見てもらうにはどうするのか、それなら甲子園は目立つな、甲子園に行くためにどうするのか、そんなふうに逆算して設定した目標を達成していくことが夢を叶えるために必要。
ある日、突然ヒットが3割打てるわけじゃないので、自分がコツコツ積み重ねていたものが最後に困ったときの力になってくれると思います。
――これからの目標を教えてください。
この決断は、両親はじめ大分の方々がまだユニフォームを着てる姿を見たいと言ってくれたのが一番でした。指導者ではなくて、選手として。
もちろん全盛期のようにばんばん動くのは厳しい年齢になってきましたが、たとえ這いつくばりながらでも、かっこよくなくても、この年になっても一生懸命頑張ってますよという姿を見てもらって、感じてもらえるものがあれば嬉しいなと思います。何歳まで頑張ってみようというのはなくて、できることならずっと野球をやりたいなと思います

内川聖一(うちかわ せいいち)
1982年8月4日生まれ、184cm、92kg
九州アジアリーグ・大分B-リングス所属/右投げ・右打ち/背番号
大分工業高-横浜-ソフトバンクーヤクルトー大分(2000年ドラフト1位指名)
大分工業高では甲子園出場は果たせなかったが、高校通算43本塁打。00年のドラフトでは1位にて横浜(現DeNA)へ入団。08年に右打者史上最高打率の.378で首位打者を獲得してブレイクを果たし、以後は日本を代表するアベレージヒッターとして活躍する。11年にソフトバンクへFA移籍。同年は史上2人目の両リーグ首位打者を達成し、MVPにも選ばれた。18年5月9日の西武戦で通算2000安打を達成。22年限りでNPBからの引退を表明し、今季から独立リーグの九州アジアリーグ、大分B-リングスに活躍の場を移す。
今はどちらかというと体重が増えるようになってきたので、量をしっかり食べることよりも、決まった時間に食べなきゃいけないものを食べるという感覚に変わってきましたね。
きちんとお腹がすいてから食べるようになったというか。これまでは必要に迫られて食事をとってた部分もあったんですけど、NPBという第一線から退いてそれがなくなったことで、純粋にお腹空いたな、きちんと何か食べたいなと思って食べる生活になりました。
――内川さんはWBCに3度出場されましたが、海外で食事や栄養管理はどのように気を付けておられたのでしょうか?
僕は外食が好きなので、若い時は外へ行ってご飯を食べることも多かったですが、年齢が上がってくると、疲れを残さないことを一番に意識するようになりましたね。
チームが用意してくれる食事がきちんとあるので、その中で自分のその時の体調と相談しながら、もうちょっと体重を増やしたいな、あるいは減らしたいな、その時の状況に合わせて食べるものを意識して変えていました。
あと日本みたいにすぐに欲しいものが買える状況ではないですし、まずはチームが用意してくれた食事で自分自身の体調や体重の管理、調整することが重要になっていきました。
―ー食材としてきのこは好きですか?
そうですね、地元・大分県の名産品でもあるしいたけとか好きですね。味の濃い料理が好きで、すき焼きにはえのきを入れたりもしています。きのこはメインで食材というよりも副菜として何かと一緒に食べる場合が多いですね。
――きのこの印象について教えてください。
子供の頃は意識したことはなかったのですが、大人になって食物繊維の豊富さであったり、腸内環境を整えるとか、今の僕らにとって必要なものだなと思いました。
食物繊維を取ることで水分が膨らんで、それが満腹感にもつながっていくというのを聞いたこともあるので、体重をコントロールするにあたっては大事な要素ですね。
――腸内環境が選手としてのコンディションに影響したことはありましたか?
2009年の夏場過ぎに、ウィルス性の胃腸炎にかかって、1週間くらい入院したんですよ、もう下痢と吐き気が止まらなくなってしまって…。こんなにきついんだというのを味わってから、腸の状態を考えるようになりました。
■大分での挑戦について
――昨年10月にNPBからの引退を発表されました。まだ現役は続くわけですが、ひとまずNPBでの人生を振り返っていかがですか?
いろんなタイトルや記録を残したと言われますが、終わってみると他人がやったことみたいな感覚ですね。当時はとにかく必死でした。
いま自宅にあるペナントやトロフィーを見て、改めて見ても頑張ったな、すごいよくやったなと思いますが、僕自身が何か評価するというよりは、他の人にすごかったなと思ってくれればそれで良いと思っています。
――ジュニアアスリートへのアドバイス
夢に向かって1日1日を無駄にしないことが大事だと言われますが、正直それだけ言われてもどうすれば良いのかわからなくて難しい。小学生がすぐにプロになれるわけではないし、逆にプロになれる年齢になってから頑張り始めても遅いこともあると思います。曖昧なイメージだけで、何となく叶ってしまうものは夢とは言えないのかなと。
まずは今の自分ができる目標はなんなのかを考えて、それに向かって行動していくことが1日1日を無駄にしないということになってくると思います。
僕の場合はプロ野球選手になるための道筋を自分で考えていました。ドラフトにかかりたい、じゃあスカウトに見てもらうにはどうするのか、それなら甲子園は目立つな、甲子園に行くためにどうするのか、そんなふうに逆算して設定した目標を達成していくことが夢を叶えるために必要。
ある日、突然ヒットが3割打てるわけじゃないので、自分がコツコツ積み重ねていたものが最後に困ったときの力になってくれると思います。
――これからの目標を教えてください。
この決断は、両親はじめ大分の方々がまだユニフォームを着てる姿を見たいと言ってくれたのが一番でした。指導者ではなくて、選手として。
もちろん全盛期のようにばんばん動くのは厳しい年齢になってきましたが、たとえ這いつくばりながらでも、かっこよくなくても、この年になっても一生懸命頑張ってますよという姿を見てもらって、感じてもらえるものがあれば嬉しいなと思います。何歳まで頑張ってみようというのはなくて、できることならずっと野球をやりたいなと思います

内川聖一(うちかわ せいいち)
1982年8月4日生まれ、184cm、92kg
九州アジアリーグ・大分B-リングス所属/右投げ・右打ち/背番号
大分工業高-横浜-ソフトバンクーヤクルトー大分(2000年ドラフト1位指名)
大分工業高では甲子園出場は果たせなかったが、高校通算43本塁打。00年のドラフトでは1位にて横浜(現DeNA)へ入団。08年に右打者史上最高打率の.378で首位打者を獲得してブレイクを果たし、以後は日本を代表するアベレージヒッターとして活躍する。11年にソフトバンクへFA移籍。同年は史上2人目の両リーグ首位打者を達成し、MVPにも選ばれた。18年5月9日の西武戦で通算2000安打を達成。22年限りでNPBからの引退を表明し、今季から独立リーグの九州アジアリーグ、大分B-リングスに活躍の場を移す。